The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十一章 静かに軋む‐the same race‐(2)
何が、と思考自体が活動を始める前に少年の方が先手を打っていた。
「エディが言いたいのはね、対価として情報を寄越せって事だよ」
唖然とする。馬鹿にされているとしか思えなかった。幾ら彼女の言葉が端的とは言え、流石にそこまでは理解している。知りたいのは、何についての情報かというところなのだ。
そんな事は承知しているとばかりに眉根を寄せたターヤに、それ以上フローランははぐらかす事はしなかった。
「それで、肝心な情報についてだけどね」
一瞬前までの憤りも忘れて、少女は耳を欹てた。
口元が吊り上げられる。
「君に《暴走豹》についての情報を持ってきてほしいんだ」
「……え?」
フローランの言葉を、ターヤは思わず訊き返していた。
「だから、君が《暴走豹》と〔軍〕に関する情報をできる限りで良いから僕らに提供するって事だよ」
それはつまり、ターヤに仲間を売れという事だ。
答えはすぐに出てきた。
「そんなの、できないよ」
少女が出した答えに青年が嗤う。それはまるで、最初から彼女の回答を知っていたかのような含み笑いだった。
「良いの? 君は[世界樹の街]の事を訊く為に、わざわざ危険を冒してまでここに来たんだよね? それなのに、自分のエゴに仲間を巻き込んでおいて、そのくせ何も得ずに帰るの?」
核心を突く言葉はまるで鋭い切っ先のようで、けれどその攻撃に屈する気など少女には無かった。
「確かに、フローランの通りだよ。わたしの我が儘に二人を付き合わせて危険な目に遭わせておいて、それになのに何も知れずに帰るんだから」
それを認める事は、思っていたよりも彼女の心を抉った。
(それでも、わたしは――)
「だけど、仲間を売るような真似をするくらいなら……わたしは、何も知らないままで良いよ!」
少女の答えにエディットは元より、フローランも黙ったままだった。
「そう、それが君の答えなんだね」
唐突に発された声が、あたかも攻撃の一種かのように迫ってくる感覚を覚え、ターヤは反射的に一歩分ほど後退していた。
「何て滑稽で幼稚で曖昧で――何て幸せな愚者の答えなんだろうね」
こちらを捉えた少年の顔は、先程までの狂気に彩られたものと同一だった。
「っ……!」
今度こそ、ターヤの全身を寒気が駆け巡っていた。
そんな彼女の様子をくだらないと言わんばかりに嘲笑いながら、狂気に見入られた少年はその本質を顕にする。
「ねえ、君は知ってるかな? 本当に幸せな人間はね、君みたいに『何も知らない奴』なんだよ」
その一言で。
自身の全てを――『ターヤ』という存在自体を真っ向から否定されたような気がした。
「何も、知らない?」
それは彼女の脳自体が発した言葉だったのか、それとも反射的な反復思考だったのか。とにかく、少女は通常の働きさえも行えない状態でそこに居た。
「そう、君は何も知らないんだよ、ターヤ」
その様子を滑稽だと言わんばかりに嗤いながら、フローランがどこか諭すように言う。わざとらしく名前まで呼んで。
「……無知」
小さく、実に微かな声でエディットも呟いた。
「っ……」
それでも耳に届いてしまった響きは、僅かながらも少女の触れてほしくない場所を鈍痛と共に刺激する。自覚していたつもりで、それでも結局は受け入れられていなかった現実。自分が何者かと問う以前に、何も知らないのだという事実を突き付けられて、彼女は大きく揺らいでいた。
それが、フローランには堪らなく楽しい。自分には何かできる事がある、仲間の為に何かしたい、けれどリスクは背負いたくない、そのような愚かな思考でしか動けない人間など実に薄っぺらいものだ。その脆い矜持を打ち砕いて途方に暮れた顔にさせるのが、彼の愉悦の一つでもあった。
フローランにもエディットという存在が居るが、それとはまた違う。なぜなら彼と彼女は互いに深く依存していたからだ。仲間だの友人だのという決して生温い関係ではなく、相手が居なければ生きていく事どころか呼吸さえも儘ならないくらいに。それ程の深さで二人は繋がっていた。
だから、彼はターヤを面白いと思う反面、心底嫌っていた。仲間の為に情報が欲しいと言いながら、彼女らを裏切るような事はしたくないと言う、ただの臆病者。
(これで少しの間は楽しめるかな。さて、どう料理しようか。エディに一瞬で肉塊にさせるか、それとも斬首だけにして、お仲間とやらに放ってみるか)
そう思考を巡らせていた刹那、騎士団本部が、揺れた。
「!」
「……地震!?」
瞬時にエディットがフローランを庇うように構えながら震動の原因を探る。
しかし、これは地震の類ではないと彼は気付いていた。揺れ自体は一時的なものであったし、何より地面が揺れたというよりは建物が震えたと言った方が正しい。
「いや、これは……アスロウムがまた何か仕出かしたのかもね」
瞬間的な緊張感の後に訪れたのは、呆れだけだった。
同ギルドに属する《爆弾魔》ことセレステ・アスロウムは、その異名通りに爆弾を用いる上に作成まで行う。故に危険だからという理由で専用の研究室を与えられており、そこでは度々実験が行われている。けれども改良好きの彼女はよく爆弾に色々と手を加えており、それが実験上の事故を起こす事も少なくはない。とは言っても、今までにそれが原因で死傷した者は一人も居ないのだが。
「あの馬鹿、また改良に失敗したみたいだね」
はぁ、と溜め息を吐いてから視線を戻してみれば、そこに《治癒術師》の姿は無かった。
「何だ、意外と肝は座ってるんだ」
先程のような大きな揺れに直面した時、彼女のようなタイプの人間は無様に怯えて動けなくなるものだと考えていた。
「だから、君は面白いんだよ」
そうして彼が不敵な笑みを浮かべていた頃、ターヤは本部内を全速力で走っていた――訳ではなく、物陰に隠れて周囲の様子を窺っていた。一応『フローランの客』としての立場は未だ健在なのだろうが、廊下に騎士達が居る状態というのは部外者の彼女には表立って歩き難かったのだ。
(思わず飛び出してきちゃったけど……ど、どうしよう)
そして完全に動けなくなったターヤは地味に困っていた。途中で逸れてしまったアクセルとエマのことも心配だが、それより何よりもまずは現在の自分が置かれている状況が先決であった。
(二人は強いし気転も利くだろうけど、わたしは……)
少々悲観的になってきたので、思考は強制的に終了する。
(とにかく、もう少し待ってみて、人が捌けてから移動しよう)
これからの行動方針を決めたところで、ふと思い浮かぶ疑問があった。
(そう言えば、さっきフローランはわたしを『エスペリオ』って――)
「――どけどけぇっ!」
「……え?」
聴きなれた声に、思わず声を出してしまった。
(えっと、今の声って……アクセル?)
あまりにも気になったのでそっと顔を覗かせて廊下の様子を見てみれば、遠くから誰かがこちらへと走ってくるのが見えた。しかも進路に居た騎士達を武器で一掃しながら爆走しているので、その背後には土煙が空目できそうだ。