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十一章 静かに軋む‐the same race‐(2)

「何の用?」
「元帥より、貴女に召還命令を預かってきました」
「そう」
 一瞬だけ眉を顰めて、アシュレイはマンスを振り向いた。
「マンス、悪いけどエマ様達に伝言を頼まれてくれる?」
「う、うん、良いよ」
 何となく気圧されたような頷き方になってしまったが、アシュレイは微笑むと伝言を彼に残して踵を返し、少年と共に歩き去っていった。まるで死霊達など意にも介していないように、先刻までの怯えようとは間逆の堂々とした姿勢で。
 その後ろ姿を呆然と見送って、マンスは双子龍を見上げる。
「アシュラのおねーちゃん、どうしたんだろ?」
 少年の疑問に二匹の龍は口を揃えて、事務、という言葉を口にした。


「――あはははははははは!」
「フロー、ラン……?」
 高らかに嗤い続ける少年を前に、少女はただ茫然と立ち尽くすしかできない。眼前で繰り広げられている光景は、一体誰のものなのか。狂気、狂気、狂気、狂気――それしか彼女の視界には映らない。
 と、いきなりフローランはターヤを見つめてきた。
「そうか、やっぱり君だったのか……《エスペリオ》!」
「え……?」
 どこかで聞いた事があるような気のする呼称を向けられ、ターヤは反射的に訊き返していた。
 しかし再び彼の視線は彼女から外れ、高笑いは続く。
「あははっ……ははっ」
 しばらくして、ひどく長期に感じられた哄笑は終幕を告げ、少年の瞳も閉じられた。
 同時に、それまで黙ってフローランの叫びを聴いていたエディットが椅子から下りて、彼の下へと歩み寄っていった。
 崩れ落ちるように腰を下ろした少年は、無言で伸ばされた少女の手を取る。
「エディ」
「……フロ」
 互いの名を呼び合う二人を目にして、ターヤはお邪魔虫特有の居心地の悪さを感じ、足音を立てないよう抜き足差し足で退室を試みる事にした。
「それで、君は何をしてるの?」
「……逃走?」
 そのつもりだったのだが、職業柄なのか即座に二人には気付かれてしまい、あえなく失敗に終わる。突き刺さるような二つの視線に、ターヤは何も疚しい事など無かったのだが、反射的に慌てて弁解し始めた。
「え、えっと……その、お邪魔みたいだから……」
「何だ、そんな事を気にしてたの?」
 予想外の言葉に安堵を覚えそうになり、
「最初から邪魔だったから、今更特に問題は無いよ」
 やはり奈落へと突き落とされた。
(招いたのはフローランの方なのに)
 抗議したいのはやまやまだったが、何せ彼の恐さを思い知ってしまった後なので、恐怖心が勝って脳内でしか発せない。
 そして、それを見抜いている少年は嗤い続ける。
「別に帰っても良いけど、君はエディに肝心な事を訊いてないと思うよ?」
「それは……」
「それとも、訊くつもりはないの? それだったら、僕としては即急に帰ってほしいな」
 言葉に詰まったところに畳みかけられて、ターヤは更に紡げる言葉を失っていく。確かにエディットに自分自身の知りたい事を訊く為に危険を冒してまで来たのであり、それなのに目的も果たせずに帰ったとあっては、助力してくれたエマとアクセルに申し訳が立たない。

(そうだ、これはもう、わたし一人の問題じゃないんだから)
 瞳に意思を宿して二人を捉える。
 先刻とは一変したその表情にフローランは益々笑みを濃くし、エディットの指が微かに蠢いた。
「エディット、あなたに訊きたい事があるの」
 彼女は無言で先へと促す。
「わたしは[世界樹の街]の事が知りたい。彼女は――《レガリア》は、あなたに会えばわたしの求める答えが解るって言ってた。あなたは、何か知っているんだよね? それを、わたしに教えてほしいの。お願い」
 知識欲ではない欲求に突き動かされて、ターヤは思いのままをエディットへと向けた。これで言いたい事は全て口にした、後は彼女次第だ。
 少女は口を開くべきなのか逡巡しているようで、しばらく床を見つめてからフローランに視線を上げた。
 それだけで何が言いたいのか少年には解る。
「僕はエディが良いと思うなら、それで構わないよ」
「……承知」
 少女は決心したように呟くと、フローランの手を引いて彼を立ち上がらせた。そしてターヤへと向き直ってくれる。
「教えて、くれるの?」
「……肯定」
 安心しそうになったのも束の間、彼女は「……但」と付け加えた。
「……対価……要求」
「対価?」
「君の知りたい事を教える代わりに、君もエディに何かを与えなきゃいけないって事だよ」
 つまりは等価交換と言う事か。一つ返事で承諾しそうになって、けれども思い止まった。相手は〔騎士団〕の《最終兵器》と《死神》だ。要求されるものが『対価』ではなく『代償』である可能性の方が高い。
 しかし、ターヤには《死神》と駆け引きができる知恵も頭脳も無かった。
「エディットの求める対価は、何……?」
 結局、彼女はごくりと喉を鳴らしながら馬鹿正直に尋ねるしかない。
 エディットは一息間を置いて、
「……情報……要求」
「……え?」
 思わず、彼女は訊き返していた。
「えっ、と?」
 エディットの言葉が含有する内容に驚愕したのではなく、それが意図する意味自体を理解できずに。
 きょとんとした顔で首を傾げるターヤをフローランが笑う。
「やっぱり、君はただの馬鹿なのかな?」
 彼の言葉にむっとするが、確かにエディットの言葉を理解できなかったのは自分の方なので反論の言葉も思い付かなかった。
 エディットはエディットで不思議そうにターヤを観察している。
 その視線に気付き、気まずさと羞恥から目を逸らしてターヤは内心で密かに愚痴を零した。
(でも、エディットの言葉だって、その……解りにくいもん)
 エマが訊いていたならば溜め息交じりに呆れられていただろう思考を、本人も幼稚さを自覚して即座に嫌気が差してきたので首を振って振り払う。そうすれば、少しは落ち着けた気がした。
「まぁ、僕以外にエディの言葉を完璧に理解されても困るんだけどね」
 しかし、フローランの言葉に再び感情が動く。
(だったら言わないでよ)
 再度剥れる少女を面白いものでも見るかのように笑って、フローランは話を進める。
「だから、良いよ」

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