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十一章 静かに軋む‐the same race‐(1)

「……遅いわね」
 少しずつ焦れてきて、アシュレイは右足で二回程地面を叩いた。侵入先では最も目立ちやすい〔軍〕関係者特有の灰色を身に纏った彼女は、上記の理由によりターヤ達と行動を共にできずに死灰の森の中で待機しているしかなかったのだ。
 彼女の他には厭きずにひたすら暗器の手入れを続けるスラヴィ、そして離れた場所には双子龍と楽しそうに遊んでいるマンスの姿がある。
 彼らの姿を横目に捉えながら、アシュレイは八つ当たり気味の独り言を口にする。そうでもしないと、このような場所で正気を保っていられる気がしなかったのだ。
「だいたい、何でこんなアンデットやらゾンビやらの居る森に残してくのよ。確かにあたしは顔が知れ渡ってるだろうから首都に戻るだけでも危険だろうし、それに最終的に残るのを承諾したのもあたしだけど……」
 あー! と髪を力の限りに掻き乱す。髪が目も当てられない様相になろうが何だろうが、現在自身が置かれている状況からしてみれば実にどうでも良い事だった。
「だからって、こんな危ない森に置いてく事は無いじゃない!」
 それもこれも双子龍が我が儘を言うからよー! と脳内でのみ補足する。それでも、あの視線に敵わなかったは自分自身なのだ。そう気付くと、瞬間的に眉尻が落ちてきた。
(あんな顔されちゃったら、断れないじゃない)
 あのくらいの年齢の人物に潤んだ瞳で見上げられてしまうと、自分はひどく弱いのだという事をアシュレイは理解していた。まるであの子が居るみたいに錯覚してしまうから、彼女は駄目なのだ。沈み始めた思考を振り払うかのように、ぎゅっと膝の上で両手を握り締める。
「……だからって、やっぱり無理なものは無理よー!」
 現在はスラヴィが自分達全員を覆うようにして〈結界〉を敷いてくれているので死霊系モンスターは一定以上は近付いてこれないのだが、それでも薄い膜の向こうには何やら毒々しい影が揺らめいている様が眼を凝らさなくともよく見えた。
 それだけで、アシュレイには大変辛い。あぁー! と再び爆発寸前となった彼女だったが、その耳に落ち着いた声が届いた。
「『我慢我慢!』――とある少女の言葉」
「あんたは良いわよアンデットとか平気なんだから!」
 どこまでも冷静すぎるスラヴィには涙目でも叫んだところで、全く効果は無かった。それを知りながらも実行してしまった自分に苛立ちつつ、それでも本能的且つ生理的な悪寒と震えが止まってはくれない。
 スラヴィはその一言だけを放ると、すぐに彼女から興味を失ったかのように元に戻っていた。
(あーもう! まず何でアンデットとかゾンビとかグールとかが存在してるのよ! 死霊だか何だか知らないけど、怨念やら何やらがあるならとっとと清算してとっとと無に還れ!)
 内心では強気に罵詈雑言や愚痴を吐けるのだが、いざ実物を目の前にすると何もできないのが悔しく空しいところだ。
(それに、何であいつは平気な顔してんのよ)
 うぅ、と二人分程離れた場所に腰かけているバンダナ頭の少年へと視線を放る。
 彼はいつの間にか武器のメンテナンスを終えていたらしく、通常営業の無表情で先程から変わる事無く虚空を眺めていた。つい先程アシュレイに声をかけた以降も以前も、無言を貫いている。
(そう言えば、この鉄面皮って苦手なものとか無いのかしら?)
 実際のところする事も無く暇な上、死霊系モンスターの存在を忘れるくらいに気を紛らわせたかったので、彼女はふと思い付いた疑問をそのまま口にしてみる。
「ねえ、あんたって苦手なものとか無いの?」
「『特に無いんじゃないかな? だって、僕だし』――とある少年の言葉」
「相変わらず意味解んないわ」
 特に期待していた訳でもなかったのだが、やはりスラヴィの返答は理解しにくかった。しかも前々から薄々と感じていた事だが、彼との会話は神経を磨り減らすので地味に疲れる。そもそも最初に話題を振ったのは自分の方だ、という点については見ない振りをした。
 少年は自分から会話を繋げる気はないらしく、すぐに口を閉ざす。

 アシュレイも彼と普通に会話ができるとは思ってもいなかったので、次の句に移ろうとはしなかった。
(でも、こいつって本当に何を考えているのか推測しづらいのよね。《死神》とはまた違う解りにくさだけれど)
 その代わり、首は動かさずに視線だけを動かして少年を観察しながら、暇潰しがてら『スラヴィ・ラセター』なる人物についての考察を始めた。
(スラヴィ・ラセター、〔ユビキタス・カメラ・オブスクラ〕所属の《鍛冶屋》にして、神に匹敵する武器を創り出すとの誉れも高い、通称《鍛冶場の名工》。ここまでは〔軍〕の資料通りよね)
 以前アクセルの武器を修理してもらうべく彼に会おうと決めた事が、随分と昔の事のように感じられた。実際は一か月も経過していないのだが、彼女の感覚ではかなりの時間が経ったように思えたのだ。
 そして、彼に関して気になっている事はいろいろとあるのだが、今現在最も気にかかるのは彼の持つ〈星水晶〉の事だ。
 レア度数S級の最高級鉱物資源〈星水晶〉――アシュレイですらも資料でのみ目にした事があるという程度だったのだが、まさか捜していた《鍛冶場の名工》と一緒にお目にかかれるとは思ってもいなかった。
 この鉱物資源はその性質故か、宝石やアクセサリー、或いは武具として加工すれば兆は下らないと言われている程だ。未加工でも高値で取引されるというのだから、その価値はおのずと知れてくる。ただし、加工する際には《鍛冶場の名工》クラスの職人でなければ成功しないという難点もあるのだが。
(けど、こいつは商売にも取引にも使う気は無い)
 それは確証など無い、ただの直感だった。だが、アシュレイにはそうとしか思えなかったのだ。彼の性格などからの推測も含むが、それら全てを総合しても弾き出される結論は最初と変わらない。
 けれど、解るのはそこまで。金銭などが目的ではない事だけだ。
(そうなると、武器の加工や製作に使うとか? でも、どちらにしても一度きりしか使えないだろうし……って、何であたしはそこまで考えてんのよ!)
 ただの暇潰しの筈がやけに真剣に考えてしまっている自分が居て、慌てて払拭するように彼女は首を左右に振り回す。
「『なーにしてんのよ、あんた』――とある少女の言葉」
「何でもないわよ」
 そこに噂の本人が突っ込んでくるものだから、思わず首が反対方向に向いた。
「『挙動不審、極まりない』――とある少年の言葉」
「何でもないったら何でもないのよ」
 あんたについて勝手に考察していた事は謝るから追及しないで、と心中で頼んでも相手には届く道理も無い。寧ろ彼は益々興味が湧いたようだ。
「『そう言われる程気になっちゃうんだぜ!』――とある青年の言葉」
 どうしようかしら、と一人ごちた瞬間の事だった。
 唐突に〈結界〉の周囲を徘徊していた筈の気味の悪い気配が、次々と消え失せていく。
「! 何――」
「アシュレイ・スタントン准将」
 この場に居る筈の無い呼びかけに、アシュレイの眉根が動いた。
 聴き覚えのあるようで初めて耳にする声に、彼女だけでなく皆も振り返る。
 死霊の群と〈結界〉を越えて一同の前に姿を現したのは、一人の少年だった。アシュレイと似たようなデザインの軍服を身に纏っており、背筋を模範的に伸ばして立つ姿勢は彼女よりも軍人らしい。緋色の瞳は刃のように鋭く尖っていたが、前髪を爆発させたような髪形だけは異端に思えた。
(この人、何か赤に似てるかも)
 そして、少し離れた位置に居たマンスは直感的にそう感じていた。彼の年齢を十歳程若返らせれば、眼前の少年のような感じになるのだろうか。
「……ユベール・カルヴァン元帥補佐」
 対して、先刻までと打って変わりアシュレイの声はトーンが下がっていた。その顔からも感情が消え、非常に事務的な表情になる。
 元々の表情は知らないが、ユベールと呼ばれた少年もわざと事務的な顔をしているように思えた。

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