The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十章 首都圏騒動‐infiltration‐(6)
「その、貴女は記憶喪失だろう。だが、人の多い首都であれば……もしかすると、貴女のことを知っている人が居るかもしれないと、私達も思ったんだ」
「わたしを、知っている人?」
頷くエマを見て、皆が逡巡していた訳が何となく解った気がした。
ターヤは気が付いた時から既に『記憶喪失』だ。だからこそエマとアクセルの誘いにあっさりと乗ったのだし、この世界に関する常識も知識も全く無かった上、偶に周囲を唖然とさせてしまうような言動を取る事もある。
確かに、人通りの多い首都であれば彼女を知っている者も居るかもしれないが、居ない可能性も少なくはないのだ。故に彼らは、少女を期待させないように言わないつもりだったのだろう。
(でも、気を使ってくれていたのは解るけど、そんなに気にする事なのかな?)
実際のところ、記憶喪失になった人物が完全に記憶を取り戻した事例は殆ど無く、大概は現実を受け入れて生きていくか、受け入れられずに発狂した末に自殺するか、の二択になるのがこの世界での理だ。
しかし、ターヤはその事実を知らない。それ故に、不思議そうな顔をするしかなかった。
エマもその事に気付いたのか、更に困ったような表情になる。言うべきなのか言わないべきなのか、その結果がどの方向へと動いていくのか、それが彼にも判らなかったのである。
相手の顔に追求するのも何だか憚られて、ターヤは別の方向へと思考を移した。
(でも、わたしはエディットに会わなきゃ)
なぜなら、ターヤは彼女から[世界樹の街]に関する事を訊かなければならないのだから。
(そう言えば、エディットに会うには〔騎士団〕の本部に忍び込まないといけないんだよね)
ふと思い出す。果たして自分一人で成し遂げられるのだろうか、という不安はあったが、アシュレイが居る前で誰かについてきてもらうべく事情を説明して、その結果彼女に怒られてしまう事を考えれば、前者の方がましだと判断する。
そう考えれば、自然と言葉が喉を通って現れる。
「……言わなくて良かった」
無意識のうちに零れ落ちたその一言に、皆の視線が集中した。
「何を言わなくて良かったんだよ?」
「え……あ、う、ううん、何でもないよ」
訝しげな顔をしたアクセルに覗き込まれた事で失言に気付き、慌てて何度か首を横に振ってみせる。危うく本来の目的を口に出してしまうところだった。
既に行き先の話を表面上だけでもしているのは四人だけとなっており、残りの面々は自由に振る舞っていた。マンスは双子龍と遊んでおり、スラヴィに至ってはどこに隠し持っていたのであろう大量の暗器の手入れを始めている。
「本当に?」
安堵しかけたところに現れた新手に振り向けば、アシュレイが不審極まりないと言った顔でこちらを睨み付けていた。
思わず表情に出しそうになる。
「本当に、それだけなの?」
「う、うん。そうだよ」
それでも顔に出すまいとして平静を保とうとする。それは傍から見れば非常に解りやすいものだったのだが、本人としては実に大真面目且つ真剣だった。
滑稽とも言える姿にアシュレイは一度だけ息を吐いて、呆れたように告げる。
「別に隠そうとするのは構わないけど、そうしたいのならポーカーフェイスの練習でもしときなさい」
図星すぎて返す言葉が見付からなかった。
「何だ、やっぱり何かあるんじゃねぇかよ」
だが、これで余計な詮索はされずに済むと思いきや、会話を聞いていたのであろうアクセルが乱入してくる。彼は興味深々と言った様子でターヤに近付いてきた。
「首都に何の用があるんだ? 観光か? それとも違う情報でも集めんのか?」
「もしくは、私達にも言えない用事なのか?」
アシュレイが引いてくれた事に安心しすぎて忘れていた。エマはまだ、一言も発していなかったという事に。
言葉を詰まらせて一歩後退したターヤに対し、アクセルは最早その理由ではなく彼女の困り具合を見て楽しんでおり、エマは真剣な表情で問い詰めようとしてくる。
(多分、アクセルはわたしで遊ぼうとしてるだけだけど……エマは、気付いてる、よね?)
彼の瞳を見れば何となく想像は付く。普段通りの表情の中に潜む、探るような意図を持ち合わせた青の双眸が、心を捉えて離してはくれないのだ。
(ど、どうしよう)
真実を話せば間違いなく二人には怒られるだろう。何せ、あまつさえ自分は仲間の一人と敵対している〔騎士団〕のメンバーと『密会』と表現するに相応しい交流を持ってしまったのだから。別に疾しい事があった訳ではない。ただ彼に指輪を返して、その礼として自分にとって必要な道標を得ただけだ。
たったそれだけの事なのだが、それを話せば烈火の如く説教されそうな気がひしひしと生じてくる。故に、どうしてもターヤは口を割ろうとは思えなかった。
しかし、そうやって頑なに黙秘権を貫こうとしている行為自体こそが不審を買われる原因となっている事を、当の本人は知らなかった。
「そう言えば」
単なる接続詞にさえも過剰に反応してしまう。
言葉の主であるアシュレイはターヤに一瞥をくれてから、確かめるようにゆっくりと続きを紡いだ。
「トランキロラを出る前日の夜、部屋を出てからしばらく戻ってこなかったみたいだけど、何をしてたのかしら?」
「……!」
背筋が一瞬で冷え上がった。最早声の震えは誤魔化せない。
「お、起きてたの?」
「あたしは職業柄、気配には敏いのよ。あんたも知ってるとは思うけど?」
言われて、そうだった、と再認識する。アシュレイは軍人であるが為、眠っていても他人の気配に敏感なのだ。しかも耳も良いのだから、ターヤのような素人が幾ら気配を消そうとしたところで隠せる筈も無い。
加えてあの日は、部屋を出た時点では足音を消そうとすら思ってもいなかった。なぜこの事に気付かなかったのか、と今になって自責してしまう。
そして、彼女はもう一つ忘れていた。
「そういや、スラヴィの奴も部屋を出てから結構戻ってこなかったよな。おまえら、二人揃って何をしてたんだ?」
アクセルもエマも、基本的に自分とマンス以外は皆、気配に敏いと言う事実を。
「え、えっと……ほ、星を見てたの! 星空が、凄く綺麗だったから……」
一応これは嘘ではなく真実だった。
「何か怪しいよなぁ」
うーん、と唸るアクセルに冷や汗が垂れた。彼は偶に痛いところを突いてくるので、心臓が幾つあっても足りない。
「おーい、スラヴィー」
数回唸った末に、彼は真偽の程を確かめるべく少年を呼んだ。
少年は反論するでも不思議に思うでもなく、武器の手入れを止めて腕の一振りで片付けを完了させると、こちらまで歩いてきた。
「なぁ、スラヴィ。おまえ、トランキロラでターヤと何をやってたんだ?」
ストレートに尋ねるアクセルに、頬が引きつるかと思った。
「『黙秘権施行中』――とある少女の言葉」
けれども少年の返答で彼とは『この事は誰にも言わない』という約束をしていた事を思い出し、再び彼女は安堵に見舞われた。
案の定、青年は渋い顔になる。
「何だそりゃ」