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十章 首都圏騒動‐infiltration‐(2)

「その心配は必要無い」
 しかし、脳内ではなく直接耳に届いた聞き覚えのある声と共に、落下が停止した気がした。
「……え?」
 驚いて堅く瞑っていた目を開けば、眼前には知らない青年の顔があり、今度はターヤの思考の方が停止する。
「誰!?」
 見知らぬ青年を見つめながら驚きで目を瞬かせていれば、アシュレイとエマが緊張した面持ちで武器に手をかけていた。
 その空気に驚きが覚めぬまま慌てて、ふと残りの三人が全く動じていない事実に気付く。何事にも無関心なスラヴィは日常茶飯事として、アクセルとマンスが普段通りな事は不思議に思えた。
「落ち着けって、エマにアシュレイ」
「何言ってんの! 誰かも解らないのに――」
「そのおにーちゃんはテレルだよ」
「は?」
 エマらしからぬ何とも間の抜けた声に、アクセルは笑いを隠そうともしない。
「知らねぇのか? 龍は人型にもなれるんだぜ?」
「そうそう」
 アクセルの言葉にマンスが満足げに頷く。
 スラヴィと件の青年を除いた残りの三人は彼らの言葉を素直に飲み込めず、しばらくの間状況が呑み込めないといった顔で固まっていた。
「その顔……!」
 くくく、と笑ったアクセルに対してアシュレイが眉を跳ね上げる。
「何よ」
「いーや、別に。それにしても、エマにも知らねぇ事があるんだな」
 ターヤもアクセルと同じことを思っていた。この世界に関する大半の知識を有していなかった彼女にとって、エマと書物はまさしく知の宝庫であったからだ。
 青年の言葉にエマは息を付いた。
「私とて万能ではないからな」
「そりゃそうだろ。超人なエマも想像できねぇ訳じゃねぇけど、逆に気持ち悪ぃっての」
 肩を竦めたアクセルに向けてすかさずアシュレイの鋭い視線が飛んでくるが、青年はそれを気付かないかのようにスルーした。
 マンスは厭きたのかカレルと楽しそうに話しており、スラヴィは降下した姿勢から殆ど動いていなかった。
「そろそろ降させてもらう」
 テレルの声で未だ抱えてもらっていた事を思い出すと同時、地面に足が付く。
「わっ……あ、ありがとう」
「大した事ではない」
 そっけなく答えてからカレルとマンスの居る方へと歩き出す青年の後ろ姿を見送って、彼の纏う雰囲気に双子龍の片割れなのだと無意識のうちに感じ取っていた。
(本当に、龍って人間の姿になれるんだなぁ)
 何だかとても不思議な気分だ。
 それにしても、アクセルとマンスは龍については博識な部類に入るエマよりも詳しいと、ふと思う。まるで昔から見てきたかのように、二人は読書や勤勉だけでは知り得ないような事実を知っているのだ。
 しかもアクセルに関しては闇魔についても非常に詳しいのだから、更に訳が解らない。
「……で、ここはどこなんだよ」
 今更ではあるが、アクセルの声で一行もまたようやく周囲の様子に気付いたのか、双子龍以外が皆視線を四方八方へと向ける。
 現在、彼ら一行が居る場所はどこかの森林の中らしかった。ただし頭上の大半を生い茂った木の枝や葉が覆い隠している為、先刻まで居たアグハの林とは違い、全体的に暗い印象を受ける。

『説明、首都近辺』
「では、ここは[死灰の森]か」
 しかしカレルの説明には、一般的知識においては博識なエマがすぐに理解まで至った。
 そして、そのエマの言葉にはアシュレイが反応をみせる。
「まさか、ここって『メメント・モリ』ですか?」
「ああ、その通りだ」
 若干ばつが悪そうにエマが頷きで肯定した瞬間、瞬く間にアシュレイの頬が限界付近まで引きつった。顔色も徐々に悪くなっていく。
「アシュレイ?」
「おねーちゃん?」
 ターヤとマンスが硬直した彼女の顔を覗き込もうとしたのだが、寸前で動き出した彼女の行動に阻止されて終わった。
 そんな少女の様子を見ていたアクセルが一言。
「ふーん……おまえ、アンデット系が苦手なんだろ?」
「!」
 再度、図星ですと言わんばかりにアシュレイが停止する。
 してやったり、とアクセルは意地悪に笑った。
「赤、どーゆーこと?」
 話を聞こうと近付いてきていたらしく、ちょいちょいと袖を引っ張ってくるマンスを見下ろしたアクセルは、溜め息を一つ落とす。
「だから、俺はの名前は『アクセル』だっての。ここ死灰の森はメメント・モリとも呼ばれててな、昼でもアンデット系のゾンビやらグールやらポルターガイストやらが出るダンジョンなんだよ」
 それでも説明を省かないところから推測するに、既に彼から名前で呼ばれる事にはある程度の諦めがついているのだろう。
「「うわぁ……」」
 話を聴き同時に嫌そうな顔をしたターヤとマンスを見て、更に青年の意地の悪い笑みは深みを増した。
「何だ、おまえらも苦手なのか」
「大半の人は嫌だと思うよ。でも、何でそういう話だけは知ってるの?」
「失礼だな、もっと知ってるぜ?」
 ターヤの皮肉を意にも介せず自身を左手の親指で指し示したアクセルに、エマがひっそりと息をついた事を当の本人は知らない。
 スラヴィ、そしてテレルとカレルは一定の方向に目を向けた。
「そりゃ覚えておいて損は無ぇだろ?」
(絶対嘘だ)
(多分、からかいのネタに使えそうだったからじゃないかな?)
 いかにもと言ったふうな顔付きで答えた青年に向かって、マンスとターヤの二人は即座に脳内で突っ込んでいた。あの意地の悪い笑みを浮かべている時点で、まともな理由でない事は確かなのだから。
「ま、何か面白そうだったからっていうのが一番の理由だけどな」
((ほら……))
 予想通りの正解答に再度の突っ込みを入れる。互いに息が揃っている事に、二人は気付いていなかった。
 それを見たアクセルの方が、その息の合いっぷりに内心驚く。
「おまえらってよぉ、すっげぇ――」
「余所見をしていて良いのか」
 アクセルの言葉を遮って発されたテレルの言葉から緊張感を感じ、即座に皆は武器に手をかけて眼前へと視線を動かした。そして、目にした。
 地面に落ちた影から立ち上るようにして黒い靄が生じ、蠢きながら形どっていくさまを。

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