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十章 首都圏騒動‐infiltration‐(16)

 いきなり眉を顰めて、独り言のように呟く。
「寧ろ、けしかけてるのはあたし達の方だもの」
 それは、誰の目にも明らかであろう陰りを映した瞳だった。アクセルでさえ思わず言葉を失ってしまうような、それくらい酷似した陰を秘める声色だった。
(こいつは、本当に……)
「なーんてね」
 しかし、彼女の表情はすぐに戻った。照れ臭そうにえへへと曖昧に笑って、冗談だとでも言うかのように頭に手を添える。
「ちょーっと感傷に浸りすぎちゃったかな? ごめんね、重くして」
「いや、俺の方こそ変なこと訊いて悪ぃな」
「大丈夫、気にしてないから。さて、今度は明るい話でもしよっか」
 二度目の笑みは、既に『セレス』のものだった。
 それをぶち壊すのも失礼だったので、アクセルも普段通りの自分を取り戻す。
「そうだな。つー訳で、俺の武勇伝でも――」
「えー、そんな事より、エディちゃんの可愛さについて延々と語ってあげるよ!」
「……マジかよ」
 ただ、やはり偶には先程とまではいかないものの大人しくなってほしいものだ、と即座に前言撤回するアクセルであった。


「フローランが何、って、どういう事?」
 彼女の言葉が理解できず、ターヤは小首を傾げた。
 しかし、エディットは相も変らぬ視線をこちらに向けてきており、もう一度言ってもらえるような雰囲気ではない。寧ろ、ターヤにはエディットの視線に耐えるだけで精一杯なところすらあった。
(フローランが何、って、彼が何て言ってたのかって事かな?)
 どこか違う気はするのだが、そういう意味合いなのだろうか。
(でも、何に関しての言葉なんだろ)
 せめてもう少し詳しい説明をしてくれないものか、と僅かな期待を持って眼前に座る少女へと再び視線を動かして、即座に理解してしまった。彼女が自分に対して向けてくる視線に込められた意味を――そこに隠された、彼女の本心からの感情を。前髪に隠れて見えない筈の瞳の奥に映っていた感情から、読み取れてしまったのだ。
(そっか、フローランがエディットしか見ていないように、エディットもフローランのことしか見ていないんだ)
「わたしは、別にフローランとは何でもないよ」
 それに気付ければ、自然と言葉は紡がれていた。もう相手の視線も気にならない。
「……真実?」
 それでもどこか不安げにエディットは問い返す。
 結構疑り深いんだな、と微笑してターヤは頷く。
「うん。だって、フローランとは別に友達でもないから。それに、彼が一番に想ってるのは、いつだってエディットの筈だよ?」
 先刻の事を思い返しながらターヤは確信を持って話していた。
 エディットのことに関すると狂気的になるフローランは、やはり彼の言葉からも解る通り、真実として彼女のことしか見えていないのだろう。それは少々行きすぎた感情だとは思うのだが、それでも彼女が一番大切である事に代わりは無いのだから。
 ほんの少しだけ、羨ましいな、と思った。
「だから、エディットが心配するような事は何も無いよ」
 そう言えば、彼女は顔を俯けてしまう。それは恥じらう少女の仕草そのもので、そうしていると彼女が二大ギルドの一角を担う〔月夜騎士団〕の《最終兵器》だとは、とうてい思えなかった。
(いつもこうなら、アシュレイとの間に溝も無かったのかも……ううん、それは違うか)
 ふと思い付いた考えは、しかし瞬時に消えていく。彼女らが二大ギルドの両翼に居る限り、それが無理なのだとは解っていた。

「……用件……何?」
「へ?」
 エディットの言葉で沈みかけていた思考から浮上し、そして彼女に会おうとしていた目的を思い出す。すっかりと忘れかけていた。
「あ、えっと……その、ある人から訊いたんだけど……」
 言葉に詰まって上手く説明できない。それが徐々に羞恥を生じさせて更に言いにくくなっていくのだが、その無限ループからの脱出方法を彼女は知らなかった。
 聴き手たるエディットは催促する気も無いらしく、無言でターヤの言葉を待っている。
「その……」
 どうしてこんなに言葉が出て来ないのか解らないくらい、彼女の口は小刻みに震えていた。まるで言うなと、口にしてはならないと本能が告げているかのように。
(それでも、きっとわたしは訊かなきゃならない)
 これまでは越えられなかった一線を、彼女は思いきって飛び越える。後はもう、殆ど勢いだった。
「エディットに訊けば[世界樹の街]ついて解るって言われたの。わたしは、どうしてもそこに行かなきゃならないから。だから、知ってる事を、何でも良いから教えてほしいの」
 その言葉に、少女が僅かながらも反応を見せる。
 それによりターヤはこの選択が間違っていなかった事と『彼女』を信用しても大丈夫である事、そして多大なる疲労感と安堵を覚えた。気の抜けたように全身から力も抜ける。
(よ、ようやく言えた)
「へぇ、なるほどね」
「!」
 瞬間、一瞬にして背筋が凍り付いた。振り返らなくとも声の主が誰なのか理解してしまう。
 いつの間に戻ってきていたのか、ターヤが腰かけている椅子の背もたれにはフローランが腕を預けており、薄く眼を開けて彼女のことを見下ろしていた。
 底知れぬ恐怖が瞬く間に全身を支配し、一瞬にして喉が干上がる。同時に、この選択は正解であって不正解でもあったのではないかという疑念が顔を覗かせた。
「君はエディに[世界樹の街]のことを訊く為に、ここまで来た訳だ」
 フローランの声は高低差の変わらない普段通りのものである筈なのに、その響きはじわじわとターヤに圧力をかけているようでもあった。
「ねぇ、君にその事について知りたければエディに会えって言ったのは、どこの誰?」
「……!」
 両肩が小さく跳ねる。動揺を表に出してはいけないと必死になって自身に言い聞かせながらも、実に彼女の身体は己の感情に忠実だった。
 非常に解りやすい相手の反応を眺めながら、突然フローランは空気を和らげる。
「別に隠そうとしても構わないよ?」
 え? と彼の言葉に込められた真意に気付けず安堵を覚えそうになり、
「だって、力ずくにでも吐かせれば良いんだからね」
 その束の間は一瞬にして砕かれた。
「――っ!」
 再び駆け巡った悪寒に、今度こそ彼女は弾かれるようにして立ち上がり、椅子から離れて両腕で自身を掻き抱いていた。
 そんな彼女の様子を観察しながら、まるで滑稽だとでも言わんばかりにフローランは嗤っている。
「あはは、そんなに怯えなくても良いのに」
 何とか震えを抑え込めたターヤにできた反撃は、彼を睨み返す事くらいしかない。
 しかし、それも《死神》の前には無駄な抵抗でしかなかった。
「そうだね、君が言わないのなら、僕が当ててあげようか?」
 いきなり何を言い出すのかと目を丸くする彼女から視線を外し、フローランはわざとらしく考える素振りを取る。
「まず[世界樹の街]に行きたいって事は、それが実在していると知っているって事だよね? あれが実在する事を知っているのは僕ら〔騎士団〕や〔教会〕の幹部級に、あとは一部の人ぐらいなんだ。そこから大体の想定は付けられる」

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