The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
十章 首都圏騒動‐infiltration‐(13)
そこは私室と思しき部屋だった。数時間程前に居たフェーリエンの宿屋よりも広く、そして置かれている家具もあそこよりも豪華に感じられた。
(ここって、エディットの部屋? それとも、フローランの部屋?)
ここで待たせてくれるのかと思えば、次の瞬間には彼女は床へと放り出されていた。
「っ……!」
背中から落とされた為にそこを強打してしまい、痛みから体勢が立て直せない。
そして、それを狙っていたかのように、その張本人たるフローランは呻くターヤの前に屈み込んだ。
「僕が、彼女の気持ちを考えてない?」
ただ彼は眼前にしゃがみ込んでいるだけなのに、まるで上から押さえ付けられているかのように彼女の全身は動かなかった。その眼にはアシュレイのような猛禽類が如き鋭さは無いというのに、まるで蛇に睨まれた蛙のようにターヤは微動だにもできない。
「勘違いも甚だしいよ、《治癒術師》。僕はいつだってエディのことしか考えてない。僕はいつだって彼女のことを最優先にしてる」
その狂気に塗れた表情に、彼女の背筋を駆け抜けるものがあった。
「僕だけが、エディの全てを解ってあげられるんだ」
そうか、と合点がいった。
これは、紛れも無い『狂愛』だ。フローランのエディットに対する、狂気にも等しいどこまでまっすぐで歪な愛情。
初めて目にするその感情に、純真無垢な少女はただただ圧倒されるしかない。
「それに、彼女だけが僕の全てを解ってくれる。だから僕の言動は彼女の、彼女の言動は僕のものに等しいんだよ」
急に削がれた怒気に引かれたのか、気が付けば彼女は震える唇から音を紡いでいた。
「それが……あなた達の、お互いに対する愛情なの?」
「その通りだよ、《治癒術師》」
あとはもう、普段通りの笑みだけしか返ってはこなかった。
既に金縛りも解けていたので、ターヤはゆっくりと立ち上がって僅かに距離を取る。やはり手は貸してもらえなかったが、今更警戒している事に突っ込まれる事も無かった。
そして、ふと疑問を思い返した。
「そう言えば、どうしてあの時、わたし達がトランキロラに居るって解ったの?」
「さぁ、どうしてだと思う?」
普通に答えてくれるとは思っていなかったが、予想通りの言葉にターヤは質問の内容を変えてみる。
「じゃあ、わたしが指輪を持ってなかったらどうするつもりだったの?」
「その時はその時だよ。君達の誰かが指輪を拾った事は解ってたから、君が持ってなかった場合は他の人を当たれば良い。例えば、君を人質にしたりとかして、ね?」
「……!」
瞬間、再び背筋を何かが駆け巡り、反射的に少女は自身を掻き抱いていた。
「そんなに怯えなくても良いのにね」
微笑と苦笑と失笑が混ぜ合わされたような笑顔に、瞬間的な羞恥から顔面が爆発寸前まで到達する。それでも首を左右に何度も振って回避すれば、鈍足ながらも熱さは引いていった。
少年はその様子を、まるで珍獣でも見るかのように観察している。
(何か、良いようにからかわれてる気がする)
相手が相手だけに口には出し辛かったので、密かに心中で呟いた。
「それにしても、君って本当に不用心だよね」
唐突な言葉に首を傾げると同時、足音が近付いてくる。
「え?」
気が付けば眼前にはフローランが立っていて、至近距離には嗤う顔があった。やはり目は閉じられているので何を考えているのかは解らなかったが、本能的に何かを感じる。
けれど、それは決して危険や恐怖などの類ではなかった。
「僕だって年頃の男子だよ。何かされるとか思わないのかな?」
「思わないよ」
ほぼ即答だった。
「だって、フローランはエディットがこの世界の何よりも一番大切だから」
少女の答えを聞き、フローランの中で悪戯心が鎌首をもたげてくる。
「どうしてそう思えるの? その根拠は?」
今度は即座の返答はされなかった。少女は困惑したような表情で虚空に目を向け、それから所々に視線を彷徨わせた後、ようやく口を開く。
「何となく……だけど、フローランはエディットを傷付けるような真似は絶対にしないよ。それに、さっき言ってたよね? 自分だけが彼女の全てを解ってあげられるって。だから、フローランにとってはエディットが世界の全てなんだよね?」
なんて矛盾した答えなのだろうか。確固たる理由がある訳でもないと言うのに、彼女は確信を持って言ってみせるのだ。
しかも、困ったことに真実を突かれてしまっているので反論もできそうにない。
「参ったな」
結局フローランは小さな吐息を零して頭を掻いた。
「何が?」
一方ターヤはと言えば、彼の行動の意味が解らず首を傾げている。
(これは、病気と言っても良いくらいの天然だね)
どこまでもおかしな少女に苦笑してしまう。
ターヤはターヤで未だに理解していないようで、訝しげに首を傾げるままだ。
「?」
と、背後から聞こえた小さな物音に振り返れば、そこには橙色の髪で顔の大半を追い隠した小柄な少女が立っていた。
「お帰り、エディ」
「……フロ」
少年の言葉に少女は名前を呼んだだけだったが、彼の彼女を見る目は先程までとは違って実に優しげなものだった。
フローランの変わりようにターヤは呆然としてしまう。そして、やはり彼はエディットのことが最も大切なのだという自論を再認識したのであった。
「……誰?」
エディットの声で、ターヤの意識は現実へと帰ってくる。彼女の方を向けば、何となく睨み付けられているような気がした。
「え?」
しかも袖から覗いて見える両手では、空気にも溶け込めそうな糸が蠢いている気がする。何か彼女の不興を買ってしまったのかと考えてみるのだが、生憎と思い付く出来事は何一つ無かったように思えた。
(た、多分)
一回頷いてから、再度扉の前に立つ少女へと視線を飛ばす。やはり、なぜか見られている。しかも、じっと離される事無く、針の筵に居るかのような気分にさせられる視線だった。最早訳が解らない。
(な、何で!?)
「あはは、エディにやきもち焼かれたみたいだね」
「へ?」
まるで思考を読み取ったかのような声に振り返れば、フローランが変わらぬ笑顔でこちらではなくエディットを見ていた。その眼差しは先程同様、他の人々を見る時の何倍も優しい。
何となく合点が行った気がした。
「エディ、この子が噂の人だよ。ほら、前に話したよね?」
青年がそう言えば、少女は彼と少女を確認するように何回か見比べてから小さく頷いた。
「……了解」
「良い子だね」
伸ばされたフローランの手がエディットの頭を撫でる。
少女の表情は前髪に隠されていて見えないが、非常に喜んでいるように思えた。