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十章 首都圏騒動‐infiltration‐(12)

「あれ? こんな所に居たんだ」
(……え?)
 何だか聞き覚えのある声に、反射的に瞑っていた瞳を恐る恐る開ける。そうしてから見上げれば、見覚えのある灰色の髪と笑顔が視界に飛び込んできた。思わず声が出る前に、前回と同じく口を塞がれる。この人は自分を窒息死させたいのかと本気で思った。
 その張本人はターヤの内心には気付いているのかいないのか、騎士達へと笑って片手を挙げる。
「やぁ。これって、何の騒ぎ?」
「ヴェッ、ヴェルヌ殿!?」
 男性が驚きのあまりか上ずった声を上げるが、すぐに表情を正して一旦咳払いをした。
「その娘は件の侵入者です。御協力、感謝します」
「へぇ? そうなんだ」
 大して驚いてもいなさそうなフローランの声に、ターヤは内心で呆れる。自分にパスを渡したのは彼なのだから、別にこの事態が予測できても不思議ではない。
「けど、その表現はちょっと違うかな?」
「は?」
 フローランの発言に騎士達が疑問の声を上げる。
「確かに彼女は侵入者だけど、ただの侵入者じゃないよ。僕が呼び込んだんだから」
「な、何ですと!?」
 途端に騒がしくなる騎士達。
 彼らを見ながら、あくまでもフローランは嗤っていた――滑稽だとでも言うかのように。
「そう言う訳だから、彼女のことは僕に任せてくれる?」
「で、ですが――」
「良いよね?」
 有無を言わせない笑みを浮かべたフローランに、今度こそ男性は黙り込んだ。
 それを了承と見なし、彼はターヤの口元から手を離す。
 彼女がその事に安堵し、胸を撫で下ろしたのも束の間だった。
「わっ……!」
「それじゃ、行こうか」
 いきなり視界が大きく動いたかと思えば視界から騎士達が消え、目線も高くなっていた。何より足が地面につけず所在無さげに揺れ、腹部に全ての体重がかかっているようで少々痛い。
(え? え? え?)
 混乱する彼女をよそに視界は再度反転し、今度は苦い表情を浮かべてこちらを見る騎士達になった。そして、そのまま遠ざかっていく。
「……あれ?」
 何だかおかしすぎる事態に首を傾げる。
「君って、本当に面白いよね」
 そうすると左側からフローランの声が聞こえてきたので首をそちらに向けてみれば、少し下方に彼の顔があった。どうやら、ターヤは彼の左肩に米俵の如く担がれているらしい。
「な、なな、何で……」
「君の速度に合わせてたら日が暮れそうだし、荷物だと思った方が楽だからね」
 彼の言葉に眉を顰めた。百歩譲って足が遅いのは認めるが、流石に荷物扱いは無いのではないだろうか。
 けれどもターヤにとっては相性の悪い事に、フローランは遠慮をせずに言いたいことは包み隠さず素直に口にするタイプだった。だからこそ敵は多いのだが、生憎と彼は《殺戮兵器》の手綱を握っている為に実害を受けた事は殆ど無い。
 とは言え足が遅い事は自覚していたので反論できずに困り果てながら、それでも素直に運ばれていくターヤの姿は誰が見てもどこか滑稽だった。
 そして、その姿を間近で見ているフローランは失笑する他無い。

「な、何?」
 その意図に気付いたのかターヤが顔を真っ赤にして問うてくるが、生憎と彼に答える気はさらさら無かった。
 実際のところ、ターヤもターヤでまともに答えられても羞恥が増すだけだったので、何も言われない方が彼女に取っては幸運だった。当の本人は気付いてはいなかったのだが。
「それにしても、君は本当に期待を裏切らないよね」
「え……?」
 またも唐突な言葉に彼の方に視線を寄越す。背中越しだったので表情は見えなかったが、笑っているのだという事は察知できた。
「君に渡したID、今持ってる?」
「え、あ、うん」
 体勢が体勢なので取り出せはしなかったが、フローランには返答だけで十分だったらしい。
「そうだ、フローラン」
「何?」
 IDの事を考えて思い出したので言っておこうと思い名を呼べば、彼は聴く意思を示してくれた。それで決心はついたが、言いにくい事だったので、すぐに言葉は出てこなかった。
「その、このIDの持ち主は、もう死んでるって……」
「知ってるよ」
 解ってはいた事だが、何の逡巡も無くあけすけに言われてしまうと次の言葉が出てこなくなってしまうものだ。
 ターヤが言いあぐねている間に、フローランは解答を提示した。
「あれはね、エディのお父さんの物なんだ」
「……!」
 こちらの方が衝撃は強かった。ターヤがフローランから渡されたIDはエディットの父親の物で、その人は既に亡くなっており、しかしフローランが持っていたという事はエディットから貰ったという事だ。
「どうして、このIDをわたしに渡したの?」
 突然の質問にフローランは多少訝しみつつも笑みは絶やさなかった。
「流石に僕のIDを渡す訳にはいかなかったし、それしか持っていなかったからね。それに、エディには後から許可を貰ったし――」
「そういう事を訊いてるんじゃない!」
 爆発寸前だった導火線に、火は点けられてしまった。
「亡くなったエディットのお父さんの物をフローランが持ってるって事は、あなたはそれを彼女から貰ったんだよね!? 家族の形身を渡したって事は、彼女にとってあなたはそれだけ大切な人だって事の証明にならないの!?」
 衝動に任せて次々と言葉が喉の奥から飛び出してくる。最早それは止められなかったし、ターヤ自身も止める気など最初から無かった。二人のことを知りもしない自分が言うのは余計な事でしかないと解っていても、それでもただ、思ったことをフローランに言ってやらなければ気が済まなかったのだ。
「それを、わたしみたいな他人に渡して……あなたは、彼女の気持ちを考えてるの!?」
 そこで感情の爆発は終わる。
 一気に大量の酸素を消費した為に肩で息をする少女とは裏腹に、少年は不気味なくらいに静かだった。
 すぐに反撃がくるだろうと予測していた少女は度肝を抜かれてしまい、先の反動もあってか今度こそ何も言えなくなってしまう。
 いつの間にか上階まで来ていたらしく、廊下に自分達以の人気は無かった。更には静寂に包まれた空間に自身の荒い呼吸だけが大きく響き渡り、ターヤは羞恥からそれを止めようと一人無駄な奮闘を続ける。
 そうこうしている間にもフローランの足が止まる。そして扉が開く音がして、彼女の視界も一変した。

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