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十章 首都圏騒動‐infiltration‐(11)

「失礼したな。だが、この倉庫には近付かない方が良い」
「あ、はい」
 ターヤの返事に気を良くしたのか、その騎士は片手を上げると踵を返して立ち去っていく。
「服装に突っ込まれなかったね」
「ああ」
 騎士の背中を見送りながら両目を瞬かせてターヤが呟くも、エマはどこか煮え切らない返事だった。
「エマ? どうしたの?」
「あ、いや、何でもない。とにかく、即急に――」
 その瞬間だった。
 先刻の騎士が歩いていった方向から、けたたましい音が聞こえてきたのは。
「!」
 まるで警報のようなその音を耳にするや、エマの顔色が激変した。彼は即座に表情を真剣なものにするとターヤに向き直った。
「悪いが、悠長なことを言ってはいられないようだ。ここで二手に分かれよう。私が騎士達の目を引く。だから、貴女はその間に上階に向かってくれ」
 なぜ彼がこれ程まで焦燥に駆られているのか、なぜ今になってこれまでの発言を覆したのかは解らなかったが、その勢いに気押されて彼女はこくこくと頷いてしまう。
「良いか、決して侵入者である事を気取られるな。服装では人目で見抜かれてしまうだろうから、なるべく人を避けていけ」
 再度頷けばエマは一瞬だけ彼女の頭を撫で、そしてすぐに騎士達の居る方向へと飛び出していった。
 またも撫でられた頭に触れてターヤは頬を赤く染めていたが、それどころではない事を思い出して逆方向へと駆け出した。すぐに廊下の突き当たりに直面するも、元来た道は戻れないので曲がるしかない。
(誰も居ませんように)
 そっと角の向こうを覗こうとして、
「そこで何をしている?」
 背後からかけられたドスの利いた声に、意図せずして両肩が跳び上がる。恐る恐る振り返ってみれば、そこには一人の騎士と思しき青年が立っていた。
 ターヤが振り向くと、彼は納得したように更に眦をきつくした。
「貴様が件の侵入者だな?」
「へ……?」
 何も言われたのか、すぐには理解できなかった。
 その間にも騎士は彼女を見下ろしている。
「IDを使用して潜入するところまでは上出来だ。だが〔騎士団〕のIDは内部に記載された情報で個人が特定できるようになっている事までは知らなかったようだな。何より、そのIDの所有者は既に死亡している」
「……え?」
 脳内を一気に騎士の言葉が駆け抜けていく。このカードの持ち主は既に死亡していると言うのならば、フローランに渡されたこれは一体誰の物だというのだろうか。その一言に思考が占領されてしまい、それだからか彼女は先程のエマの態度と鳴り響いた騒音の意味には少しも気付けなかった。
 少女が顔色を変えた理由を、侵入者である事がばれた為だと勘違いした騎士は彼女へと近付いていく。
「どこでそれを入手したのかも含めて、別室で話を聴かせてもらおうか、侵入者の娘よ」
 彼の後ろには次第に他の騎士達も集まり始めており、そこでようやく彼女は今現在の自身が置かれている状況を自覚した。
「し、侵入者って……」
 騎士の声を聞きながら、ターヤの脳内にはエマの言葉が再生されていた。

『良いか、決して侵入者である事を気取られるな。服装では一目で見抜かれてしまうだろうから、なるべく人を避けていけ』

(に、逃げなきゃ!)

 その時ターヤの思考は普段よりも酷く混乱しきっていたが、反射的に身体が騎士達とは反対方向へと動き出していた。手は杖にかけられず、しかし唇は詠唱を始めてしまう。それはまるで別の誰かに身体を乗っ取られたかのようで、自らの意思で止める事はできなかった。
「〈降り注ぐ岩石〉」
 気が付けば逃げる彼女と追う騎士達の間には、岩石が滝の如く降り注いでいた。
 それは紛れもない〈攻撃魔術〉であった。
「うわっ!?」
「何だこれは!」
 唐突に出現したそれらに騎士達の足は止まる事を余儀無くされ、それが静まった頃には前方は完全な行き止まりになっていた。
「くそっ……他から回れ!」
 迂回を促す叫びを背景にターヤは走り続ける。何度角を曲がったかと訊かれても、今なら絶対に答えられない筈だ。背後は絶った為に追っ手の足音は聞こえてこないが、遠くには幾つもの金属音が確認できた。


 同時刻、所用で廊下を歩いていた男性は、ふと階下が騒がしくなっている事に気付いた。
(またあの若造の部下共が何事かをやらかしたようだな)
 どうせまた取るに足らない日常茶飯事だろう、と脳内で結論付ける。何気無くその方向――中庭を挟んだ向かい側の建物へと、窓を介して視線を向けて、
「っ……!」
 逃げる少女の姿を、目にした。
 それは一瞬の事だったが、あの面にはひどく見覚えがあった。
(あの小娘は……!)
 刹那、忌まわしい過去の記憶が脳内にて鮮明に蘇ってくる。その時に覚えた屈辱、憤怒、諸々の感情も含めて、全てがたった今経験した事のようにしっかりと思い出せた。
 男性はそのままの表情で、その場から動けなくなった。


(こ、ここからどうしよう!?)
 ひたすらに走り回りながら、ターヤは何とか脳内では冷静になろうと努めていた。だが、やはり焦燥と危機感が先行し、そう思うようにはなってくれない。
 そもそも彼女の最大の目的はエディットに話を訊くことであり、しかしそれは追われる立場となった現在では至難の業だ。
 あぁもう私の馬鹿、と内心で呟いたところで、前方の何かに衝突した。
「わっ……ごめんなさい!」
 慌てて謝り急いで頭を上げ、今この世界に居るのかさえも解らない『神様』は自分を見捨てたのだと瞬時に悟った。
「おまえ、侵入者だな?」
 眼前で仁王立ちをしているのは青い制服と鎧で構成される騎士服を纏った男性で、彼の後ろには同様な幾人もの人々が居る。
 ターヤは答えられない。
「全く、手こずらせやがって」
 そう言いながら伸ばされる腕を回避しようと反射的に彼女は後ずさり、後方の何かに背中をぶつけた。
(後ろにも……っ!)
 万事休す、もう駄目だ、と最悪の事態を予期して身構えた身体を、けれど掴まれる事も叩かれる事も無かった。

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ロックレイン

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