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十章 首都圏騒動‐infiltration‐(10)

「――ターヤァ?」
「!」
 顔を上げると、アクセルが至近距離から自分の表情を覗き込んでいた。逆に固まりそうだった。
「どーしたんだよ、ぼーっとしてよぉ」
「貴様の顔が近すぎるのではないのか?」 
 エマの指摘は的を射ているようで、実際はあまり射ていない。
「なんだそりゃ……待てよ、ようやくターヤも俺の格好良さを思い知ったのか? それならそうと言えよな、全くよぉ」
 実に久方ぶりに発動されたナルシストモードに、硬直していた事も忘れてターヤはエマ共々白けた視線を彼に送る。
 けれども一度その状態に突入してしまったアクセルには少しも効果が見込めず、自分の世界に入っている彼は自身の周囲によく解らない花畑を出現させていた。
「ターヤ、あの阿呆は放って置いて私達だけで行こうか」
「うん、そうだね、エマ」
 慣れたものである。二人は互いに頷き合うと、未だ花の中に居る赤い青年を放置して建物へと向かった。
「おそらく、入口のあった方角からして、こちらが裏側だろうな」
 陽の位置と現在位置とを比較して考えているのか、ともかくエマの先導で二人は裏口に行き当たった。
 目隠しになるような物は塀しかないが、そこに人の気配は無く、あまり使用されていない出入り口だという事が手に取るように理解できる。
「あ、でも、鍵がかかってるかも」
 ふと思い当った考えに口元を押さえれば、エマは頷いた。
「その推測は良案だな。人気が無いという事は、施錠されている可能性が高い事への裏付けにもなる」
「やっぱりかぁ」
「だが、それだけの理由で安易に思い込んでしまうのも良い選択とは言えない」
 肩を落としかけるも、その言葉に顔を上げて彼を見た。
 少年は扉の取っ手部分に手をかけると、音を立てないようにしながらも力を込めて開けようとする。
 それがどれくらい繊細で難解な作業なのか、未経験ながらもターヤには実感できた。
 しばらくすると、擦れるような重たい音を鳴らして扉が少しずつ開いていく。
「あ……」
 数分も経てば、扉は人が通れるくらいには開かれた。
「これくらいで問題無いだろう」
「やっぱり、エマって凄いね」
 呆然とした表情で呟いたターヤにエマが苦笑する。
「別に私は賛辞を受けるような人間ではない。ただ、できる事を行ったまでだ」
 それでも、そう言えてしまうこと自体がターヤにとっては『凄い』のだ。決して自身を奢る事無く当然であるかのように言えるエマが、彼女にはその一言でしか表わせなかった。
 そう言えば、彼は苦笑したまま頭を撫でてくれる。口には出さないけれど、素直に嬉しかった。
「そろそろ行こうか」
「うん」
 小さな子供のように首を縦に振って、彼女は少年の後についていく。
 扉を潜ってすぐは、薄暗い倉庫のような場所だった。壁際には所狭しと木箱などが置かれており、その埃の被り具合から見ても低頻度でしか使用されていない事が窺える。
「ターヤ、フローラン・ヴェルヌはエディット・アズナブールが居る場所については話していたか?」
「あ」
 すっかり肝心な事を忘れていた、と再び呆然とした顔になった少女に、少年は困惑顔になる。

「それは困ったな。これでは、どの方向に行けば良いのかが判断できない」
 疲れたように床に腰を下ろすと、口元に手を当てて彼は考え始めた。
 その間、ターヤは同様の姿勢を取りながら〔騎士団〕本部に潜入するまでの手段までしか入手できなかった自分を軽く呪ってみる。
「仕方が無いか」
 音も無く立ち上がると、彼は少女を置いて倉庫から出ていこうとする。
「エマ? どこに――」
「ターヤはここで待っていてくれ」
「え、どうして?」
 切り捨てられたような気分だった。そんな心情を撤回してほしくて、ターヤは恐る恐るエマに尋ねる。
 案の定というか、帰ってきた答えは彼らしいものだった。
「場所も判らないのに無暗に動くのは危険だからだ」
「でも、それならエマだって――」
「私ならば問題無い。この服装は〔騎士団〕の制服と似通っているからな。それに、本部の見取り図はだいたい把握している」
 反論を一蹴されたどころか、まさかのカミングアウトにターヤは言葉も出なくなる。あの〔騎士団〕本部の見取り図を、つまりは道筋を知っているという事は、彼は以前〔騎士団〕と関わりでもあったのだろうか。
 エマはそれ以上を告げたくはないらしく、即急に出ていこうと扉に手をかける。
「ま、待って! IDが無いと、見つかった時にばれるよ!」
 咄嗟に口を突いて出た言葉だったのだが、エマは立ち止まってこちらを振り向いた。
 ターヤは懐からフローランに渡されたIDを取り出し、彼に見せる。これが有効な手段になり得るのだと思い、一度だけ小さく唾を飲み込んでから。
「これが無いと、見つかった時に大変なことになると思うよ」
「これはフローラン・ヴェルヌに貰ったのか?」
 珍しく低い彼の声に気押されながらも、彼女は負けじと唇を引き結んで肯定する。
「うん」
「それで、条件は何だ?」
 途端にエマは嘆息する。
 流石に彼は解ってくれたのだ。ターヤがこのIDを取りだしたのが、彼と交渉する為だという事を。
「わたしも、一緒に連れていってほしいの」
 やはり彼は即座には答えを出さなかった。双方にとっても長く感じられた沈黙の後、観念したように彼は、解った、と小さな声で許可した。
 顔を輝かせてお礼を口にしようとしたターヤの眼前に、それを遮るかの如く人差し指が付き付けられる。
「ただし、私から離れるな。なるべく騎士に遭遇しないように気は配るつもりだが、万が一という事態も考えられるからな」
「うん、解った」
「ならば、行こうか」
 エマに促されてターヤは彼と共に倉庫を出る。それからのルートは、彼の後ろに隠れながら慎重且つ注意深く進んで行く予定だった。
「おい、お前達」
 だが、倉庫から廊下に出た時点で運悪く騎士の一人に見付かってしまった。
 その騎士は訝しげな表情で二人を見ながら近付いてくる。
「その倉庫は立ち入り禁止になっていた筈だが? それよりも、お前達は何者だ?」
「あっ……えっと、こ、これを!」
 意識を取り戻したターヤは、慌てて手にしていたIDを騎士の方へと見せた。
 エマが何事かを言いかける前に、その騎士は彼女の手からIDを受け取り、懐から取り出した機械に通した。そして何かを確認したかのように頷くと、それを彼女に返した。

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