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一章 目覚めた私‐memory loss‐(09)

 それを軽く受け流したリチャードは更に続ける。
「ケテル、貴女の状態は確認しました。現段階ですと、やはり貴女をこのまま、あの方の下までお連れするのは難しいかと。ですから、貴女はこのまま、お二人と共に居てください」
「え?」
 急に話題を転換された上、その内容も理解まで及ばず、ターヤはきょとんとした顔で首を傾げた。
「でも、リチャードは、わたしのことを知ってるんだよね?」
「はい、一応は。ですが……いえ、そうですね、ならばこうしましょう」
 何かを思い付いたようにリチャードは提案する。
「ケテル、貴女はこのまま、お二人と共に『ユグドラシル』を目指してください。その下まで辿り着いた時、私は貴女に知り得る全てを話します」
「ゆぐどらしる?」
 聞き慣れない単語に眉根を寄せるターヤだったが、リチャードはそれ以上の事は口にしないかった。
「では、ユグドラシルの下にてお待ちしております、ケテル」
 そう言って一礼すると、次の瞬間には、彼は空気に溶けるようにして消え失せた。
 ようやくターヤの居る所まで来たアクセルが、それを見て苦い顔を浮かべた。
「〈気化移動〉だな、今の。時属性の魔術といいこれといい、ほんと何なんだよ、あいつ」
「あの男の事はひとまず置いておくとして、問題はあの男の言葉を信じるか否かだ」
 同様に隣までやって来たエマが、真剣な表情でターヤを見る。
「貴女は先程、彼を信じられると言ったが、今はどうだ? 相手が本気で殺すつもりは無かったとはいえ、いきなり武器を突き付けられ、戦闘を余儀なくされた事を踏まえても、まだあの男を信じられるのか?」
 問われて、ターヤはリチャードのことを思い浮かべる。知らない筈なのに、どうしてか信用できると感じる人物。それは決して服装が似ているからだとか、自分でさえ知らない己の事を知っているからだとか、そのような理由ではない気がした。
「うん、リチャードは嘘は吐いてないと思う。だから、わたしは彼の言葉を信じるよ」
 はっきりとそう告げれば、途端にエマは微笑んだ。
「そうか。アクセル、異存は無いな?」
 その笑みをターヤが心臓に悪いと内心で評している間に、エマに視線を向けられたアクセルは即答した。
「別にねぇよ。俺らは特に、これっていう目的がある訳でもねぇしな」
 同意を得たと認識するや、エマは踵を返した。
「ならば、向かおうか」
 どこへとターヤが問う前に、エマは彼女を振り返る。
「この場から最も近い街で、他の都市には無い図書館が建つ街、エンペサルだ。術系統の《職業》でない私達から話を聞くよりも、魔術についての知識は深まるだろうし、あの男の言う『ユグドラシル』についての資料がある可能性も高いだろう。それとも、同行者が私とアクセルでは不満か?」
「せっかくの縁だからな、気にせず頼ってこいよ」
 躊躇して踏み止まっていた感情は、その言葉で一歩前進できた。
「ううん! 二人とも、これからもよろしくお願いします!」
 二人ともうしばらく一緒に居られると解り、ターヤは瞳を輝かせて満面の笑みを浮かべ、即決したのだった。


「着いたぜ、ここが[始まりの街エンペサル]だ」
 リチャードと名乗った青年との一件が起こった場所から、数分程歩いて辿り着いた街の入り口で、アクセルは後方の二人、と言うよりは主にターヤを振り返ってそう言った。
 そこで、彼女はまたも疑問を覚える。
「何で『始まりの街』なの?」

「さぁな。気付いたら『始まりの街』だったんだよ。先に言っとくけど、エマの奴も知らねぇからな」
 肩を竦めたアクセルに、回答になっていないとターヤは思ったが、知らないのなら別にそれでも良かったので追求はしなかった。
「エマでも知らないんだ」
 ただし、ここまでで博識というイメージを抱いた彼も、そこについて知らないという事には驚いたが。
「とりあえず、とっとと行こうぜ。もしかしたら、図書館の中にそこら辺に関する本もあるかもしれねぇし」
「それもそうだね。ところで、図書館ってどこなの?」
「正面に、でけぇのが見えねぇか?」
 アクセルが人指し指を上げた。
 確かに、その指が指し示す先――街の入り口に佇む三人の真正面の方向には、軽く五階分の高さは越えていそうな、何とも巨大な建物が見える。
「あれが図書館だ」
「えぇっ?」
 思わず叫んでしまうくらい、その図書館はターヤにとって大きく感じられた。あれだけ巨大な図書館など、どこに行ってもお目にはかかれないだろう。それに、館内の蔵冊量も敷地面積も、半端な数字などでは決して無いと思われるのだから。
 しかし、驚きを見せたのは彼女だけで、アクセルとエマは少しも動じていなかった。
「何驚いてんだよ。クレプスクルムの図書館なんて、あれの何十倍もあるんだぜ?」
「くれぷすくるむ?」
「正式名称を[魔導術学院クレプスクルム]と言い、街全体が巨大な学問施設となっている都市だ。魔術などの術系統《職業》の人々の『聖地』ともされている」
「うわぁ」
 想像してみただけで腰が抜けてしまいそうだ。眼前の図書館よりも大きく、しかも学園の一部でしかないなどとは。その話を聞いていると、非常にその都市に行ってみたくなる。
「だが、学生や教諭など、専用のパスを所持している者しか出入りを許可されない事でも有名な場所でもある」
「って事は、わたし達は行けないんだね」
 エマの言葉にターヤは意気消沈した。二人の説明から興味が湧いてきた為、いつか行ってみたいと密かな願望が心中で生じていたのだ。
「んー、別にそんな事もねぇんじゃねぇか?」
「え?」
 突拍子も無いアクセルの言葉に、ターヤは彼を見上げた。先程エマは『許可無き者は入る事もできない』と言っていた筈だが、実は他にも方法があるのだろうか。
「だって、俺」
 彼は懐に手を突っ込み、何かを探しているようだ。
「パス持ってるし?」
 ラミネート加工されたカードサイズの物体を取り出すと、それを彼女の眼前で、ほれ、と言いながら、ちらつかせて見せてきた。
 唐突すぎて目が点になる。
「え……?」
「どーだ、すっげぇだ――」
 しかし、両端を指で押さえただけの持ち方だったのが原因なのか、とにかくそこで彼の手からカードが滑り落ちて宙を舞った。
「「あ」」
 アクセルとターヤ、二人の声が重なって、そしてカードは彼女の足元へと落ちる。
 屈んで拾い上げると、ターヤは手の中のそれをまじまじと見つめた。

 一番上には『魔導術学院クレプスクルム 出入り許可証』と達筆な文字で記されており、右側には幼い頃のアクセルと思われる少年の顔写真、左側には大まかなパーソナルステータスが横書きに記載されていた。
 どうやら、正真正銘これは本物のようだ。

フルドゥシエルト

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