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一章 目覚めた私‐memory loss‐(10)

「そんなに見つめんなよ」
 まじまじと見ていると、眼前のアクセルから、どことなく不機嫌そうな声が飛ばされる。
「あ、ごめん、アクセルが魔術ってちょっと意外だったし、昔はこんなに可愛かったんだな、って思って」
 その一瞬、アクセルの顔が僅かに歪んだように見えて、思わずターヤは言葉を無くした。
「ったく、褒めてんのかよ、それ」
 だが、次の瞬間には呆れ顔を浮かべてはいるものの、元通りの彼に戻っており、その事に少女はなぜだか安堵を覚える。まだ出会ってから、大して時間も経っていないというのに。
 これ以上は駄目だと脳の奥で叫ぶ声があり、ターヤはカードをアクセルに返した。
「勝手に見ちゃって、ごめんね」
「や、落としたのも見せびらかしたのも俺だしな。こっちこそ、わりぃ」
 ひらひらと普段通りの顔で手を振られ、ターヤは内心でほっと息を吐いた。
「つーか、もうとっくに有効期限は切れてるしな」
 唐突且つ先刻の言葉を覆す発言に、ターヤは思わず目を瞬かせた。口がぽかんと開く。
「へ、そうなの?」
「あぁ、俺があそこに居たのは写真くらいちっせぇ時だし、結局〈魔術〉の才能は無かったしな。だからこれは、ま、記念品ってくらいの価値しか今はねぇな」
「何だか、ちょっと損した気分かも」
「けど、これで良かったんだよ。あそこには、あんまし過度な期待はしない方が良いぜ?」
 そう言った時のアクセルの表情はどこか苦しげで、直感的にこれ以上見ていたくないと感じたターヤは、慌ててこの話になってから一言も喋っていないエマに話を振ろうとして、そこで初めて彼が先に図書館へと向かっている事に気付いた。
「あ、あれ?」
 いつの間に、と言いたげなターヤに対し、エマは若干の呆れ顔を向ける。
「いつまでも街の入り口を塞いでいては、他の人に迷惑だからな。御前達も早く来い」
「へいへい、相変わらずエマは、かたっくるしいよなぁ」
「今、その言葉は当てはまらないと思うのだが」
 先に進んで待っていたエマの下まで二人が行くと、彼は再び足を図書館の方へと進める。
「ようこそ、エンペサル図書館へ」
 図書館の出入り口を潜れば、笑顔を浮かべた受付の女性に挨拶をされた。その髪は、黄色。服は、白。
「よぉ」
 相変わらず同じ顔の奴しか居ねぇよな、と思いながら片手を挙げてその前を素通りするアクセル、一礼してから通るエマ、彼に倣って頭を下げたターヤ、と続いて三人は入館した。
 受付を抜けて正真正銘館内へと入った途端、天井まで見える吹き抜けと、その奥行からなる広さと隙間なく並べられた本棚とに、ターヤは目を輝かせた。
「わぁ……!」
「クレプスクルムには劣るけど、ここもなかなかのもんだろ?」
 アクセルをすばやく振り向くと、ターヤは大きく首を振った。
「でも、ここも凄い! こんなに広いなんて――」
 そこで、この場が図書館だという事を思い出し、慌てて彼女は口を噤むと同時に口元も掌で隠した。そこでふと、巨大且つ蔵書量の多い図書館というだけで、気分が上昇している自分に気付く。
(もしかして、わたしって本が好きなのかな?)
 官女自身は覚えていないが、これ程高揚しているという事は、多分そうなのだろう。
 そして、その興奮具合を微笑ましげに見ていたエマは彼女を促して、とある本棚へと連れていった。そこには『魔術大全』や『魔術ノ全テ~基礎編~』などと記された、大きさも厚さも多種多様な背表紙が陳列されており、一目で魔術関連の書籍が並べられた棚だという事が解る。
 先に『ユグドラシル』について調べるよりは、彼女が強い興味を示している魔術を優先した方が良いと考えたエマであった。
「ここが魔術に関する本が並ぶ棚だ。好きな本を読んでみると良い」
 けれども彼がそう言う頃には、既に彼女は本棚の物色を始めており、寧ろ彼を驚かせた。

「何だ、そんなに本が好きなのかよ?」
 冗談交じりに問うアクセルだったが、眼前の山のような書物に心を奪われている少女の耳には届かなかったようで、答えは返ってこなかった。
 エマはしばらくターヤを見ていたが、ふと何かを思い出したようにアクセルを見た。
「アクセル、私はこれから私用でこの場を離れるが、貴様はどうする?」
「んー、特に用もねぇし、ターヤのお守りでもしながら、適当に本でも漁ってるわ」
「そうか、ならば任せる」
 踵を返したエマの姿は、すぐに視界から居なくなった。
 アクセルもターヤを視界の端には入れるようにしつつ、本棚に目を滑らせる。少しでも興味を惹かれるような題名の本があれば手に取って見るつもりではあったが、生憎と眼前の棚には特に読んでみたいと感じられる物は無かった。ターヤを置いて他の本棚を見にいくという選択肢もあったが、記憶喪失で常識もあまり知らないような危なっかしい少女を一人にする方が躊躇われ、結局彼はその場から動かなかった。
(ターヤがわりぃって訳じゃねぇんだけど、何かめんどくせぇな)
 頭部を引っ掻く癖を実行しそうになったところで、少女がある本の一頁を凝視している事に気付く。その両目は図書館に入った時の無邪気なものとは違い、一点を貫くような鋭い輝きを放っていた。思わず、背筋が震える。
(何だ、ターヤの奴、あんな眼もできるんじゃねぇかよ)
 心躍る強者を見付けた時のような心境で、彼は少女の隣まで歩み寄った。
「何か良い本でもあったのかよ?」
 声をかけると、ようやくターヤはアクセルが隣に立っていた事を知覚したらしく、彼を見上げた。それから、開いていた頁のある個所を指で指し示す。
 それよりもアクセルは、こちらを見た彼女の瞳に先刻の強さが映っていなかった事を残念に感じたが、その考えは振り払い、少女が注視する個所に目を落とした。
「これ、この頁! 魔術を使う際の注意点とか、いろいろ書いてあるの! リチャードは感覚的な事しか教えてくれなかったけど、理論は知っていた方が良いと思うから」
 これにはアクセルの方が虚を突かれる。
「へぇ、意外とターヤは理論を重んじるんだな」
「理屈が解ってればできるって訳じゃないけど、解ってて損は無いと思うから」
 魔術理論の理解に強い意欲を見せる少女を見て、ふとアクセルは思い出す事があった。
「なるほどな。ところでターヤ、ここは館内なら自由に本を持ってられるんだ。で、ここの地下には、戦技と魔術用の訓練部屋ってのもあるんだけどよぉ、せっかくだし、その本でも持って行ってみねぇか?」
「行く!」
 唐突ながらも魅力的なアクセルの申し出に、ターヤは即決する。無論、図書館内なので元気はよくとも、あくまで小声の返事ではあったが。
 そうして、二人は受付にて地下の訓練部屋の使用許諾を受けると、昇降機を使って目的地へと向かった。昇降機は魔術によって稼働されているのか、ワイヤーなどで吊られている事も固定されている事もなく、本を抱えたターヤは終始アクセルにしがみ付いていた。
「ここが鍛錬部屋だ」
 アクセルの身長よりも更に大きな扉を押し開けて、二人は中に入る。
 入ったと同時に電灯に光が灯り、その部屋の広さが強調された。ここは地下だからなのか、図書館の半分くらいの広さはあるようだった。ちなみに、残りのもう半分の空間は剣技などの戦技用の鍛錬部屋だ、とはアクセルの言だった。
「図書館の地下にあるっつーのも変な話だけどよ、この街自体が〔PSG〕っつーギルドの管轄だからな。ちなみに〔PSG〕ってのは人々を支援してくれるギルドでな、特に、街の中に閉じ籠るのは止めて自分も戦えるようになりたい、術技とか習得したいっつー奴らの為の街でもあるんだよ、ここは」
 その説明に、ターヤは関心の溜め息を吐く。この街自体が一ギルドの管轄内であり、それどころか、自分のように初めて《職業》を活用しようとする者や、戦闘技術を学んだり磨いたりしたい者などの為の場所でもあるとは。

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