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一章 目覚めた私‐memory loss‐(07)

「え、何これ……どういう事?」
 目を瞬かせながら見られた二人は顔を見合わせ、互いの考えている事が同じだと、その顔から知った。そして互いに頷き、今度は彼女を見る。
「ターヤ、もしかすると貴女は〈治癒魔術〉の使い手なのか?」
「ちゆまじゅつ? そういえば、さっきも『魔術』って言ってたような……」
 首を傾げるターヤに、エマはその辺りに関する説明がまだであった事に気付いた。
「ああ、すまない。魔道具よりも魔術の説明が先だったな。そもそも〈マナ〉の説明をした時にするべき話だったのだ」
 ふぅ、と自身に対する溜め息を一つ落としてから、彼は本題に入る。
「〈魔術〉とは、自然をも操る脅威の超常現象だ。脳内で構築した〈魔術式〉を詠唱により〈マナ〉を素体として現実に具現化し、最後に〈魔法陣〉で対象を定める事により初めて発動されるものであり、素質が無ければ習得はほぼ不可能とされている」

 新たな単語が幾つか登場した上、どうやら自分に特に関係がありそうな内容なので、自然とターヤの姿勢にも熱が入る。

「私とアクセルは接近戦闘専用の《職業》なので、残念ながら習得は不可能だが、魔術専用の《職業》もある」
「じゃあ、もしかしたら、わたしはその魔術専用の《職業》だったりするのかな?」
 エマの説明は変わらず本からそのまま抜き出したような堅苦しさだったが、その説明から雰囲気を感じ取ったターヤは魔術に対して憧れを抱き、同時に自らにも《職業》があるのではないかとの予感を覚えた。
 故に、少々の期待を込めて視線を送ってみるも、エマは曖昧に首を振るだけだった。
「それは解らないが……ただ、今確実に言える事は、貴女には治癒魔術が使用可能だという事だけだ。説明に戻るが、魔術には幾つかの種類が存在し、現在は攻撃魔術、防御魔術、支援魔術、治癒魔術、召喚魔術の五つに分類されている」
「その治癒魔術っていうのを、わたしは使えるの?」
「現に、先程貴女はアクセルの傷を治してみせただろう?」
 そう言われて思い出すのは、先刻の光の事だった。自分の掌が覆った場所から発せられたそれが、彼の傷を治療したというならば。
「あれが、治癒魔術」
 未だに名称と全貌こそ不明なものの、自分も《職業》を有していたという事実に、ターヤは嬉しさを覗かせた。少しだけ、自分のことが解ったような気がしたからだ。
 しかしその傍らで、エマとアクセルは互いに顔を見合わせていた。
「だが、人間は媒体も無しに魔術は使えない筈だ。それなのに、ターヤは素手で治癒魔術を使ってみせた」
「だな。つー事は、ターヤはエルフかドウェラー辺りなんじゃ――」
「いいえ、その方は紛れも無く人間です」
 突如として割り込んできた第三者の声に、そこで初めて《旅人》二人はその存在に気付く。その事に内心では焦りつつも表には出さずに振り向けば、視線の先には一人の青年が居た。
 黄色の髪を風に靡かせながら、どこか無機質な笑みを湛え、白を基調としたローブを纏い、胸元を紅い宝石と金の枠のブローチで飾った、聖職者の如き風貌をした彼は、ターヤへと向かって一礼した。
「ご無事で何よりです、ケテル」
「それが、彼女の名前か?」
 さりげなくターヤを背にし、突然の闖入者を警戒しながらエマは問う。
「いえ、これは、その方を表す便宜上の名称にしかすぎません。その方のお名前は、今は『ターヤ』でしたか」
 なぞるように名を呼ばれた時、ターヤの背筋を悪寒のような何かが駆け抜けた。その感覚から逃れようと本能的に、思わずエマの背中にしがみ付く。
 少女の様子を横目で確認してから、アクセルはエマの更に前へと踏み出た。
「つーか、誰だよおまえ。こいつのこと知ってるとかそういうのは置いといて、名前くらい名乗ったらどうなんだよ?」
 さも今になって気付いたと言わんばかりに、青年は再び頭を垂れた。
「これは失礼しました。私はリチャードと申します。以後、お見知り置きを」

 それまでは何も言わずにエマの背から青年を見ていただけのターヤだったが、相変わらずエマの後ろに隠れたままではあるものの、そこでようやく恐る恐る口を開いた。答えを求めて縋るように、ゆっくりと問いを紡ぐ。
「あなたは、わたしを知ってるの?」
 しかし、その疑問にリチャードと名乗った青年は微笑んだだけだった。
「本来ならば、その方には最初にこちらにいらしてほしかったのですが、残念ながら時空自体が乱調な上、お連れするにしても今は時期尚早との結論を、あの方は出されました」
「あいつ、何言ってんだ?」
 不審げな目をしたアクセルがターヤに問うてくるが、彼女にも解らなかったので首を横に振るしかない。それに彼女の意識は、青年が自分と似たような格好をしている事、そして彼の声に聴き覚えがある事に向いていたのだ。
「故に、ケテル」
 僅かにリチャードの声調が変わり、それに反応したアクセルとエマが身構えた。
「今ここで、貴女の実力を試させていただきます」
 そう言うや否、彼は胸元のブローチから一振りの剣を取り出した。
 その行為に驚きを覚えながらも、相手から発せられる殺気に、二人の《旅人》もまた武器を手にし、少女を背中に庇う事を優先する。
 しかし、それを見たリチャードはひどく不思議そうに問うてきた。
「おや、ケテルは戦われないのですか」
「記憶喪失で自分の《職業》も解ってねぇ奴に、戦わせられるかよ」
 呆れたようにアクセルは言うが、その言葉にリチャードの顔から、張り付けられていた仮面が剥がれ落ちるように笑みが消えた。
「記憶喪失……という事は、やはり、あの方の力がかなり弱まっているという事なのですね」
 また一人で納得すると、リチャードは先程の変化が嘘であったかのように再び笑みを湛え、今度はターヤだけでなく前方の二人をも見た。
「ならば、今回は貴女だけではなく、お二人の助力も認めます。さあ、ケテル、胸元のブローチに触れ、武器を出してください。貴女方には、今から私と戦っていただきます」
 唐突で意表を突いた発言には、ターヤだけでなく、アクセルとエマもまた驚倒した。
 だが、彼らの反応は予想の範囲内であったかのように、リチャードただ一人が表情を崩さない。視線はターヤに注がれたまま動いていなかった。
「別に危害を加えようという訳ではありませんよ。それとも、私が信じられませんか?」
 とって付けたような言葉だったが、どうしてかターヤは彼を信用しても大丈夫だと感じた。それは自分と似たような恰好をしているからなのか、自分のことを知っているようだからなのか。
 そして、その言葉により、逆に警戒を更に強めていたアクセルとエマだったが、ターヤが胸元のブローチに触れたかと思いきや、そこから武器が飛び出してきた光景を目にし、二重の意味で唖然としてしまった。
 それは、一本の杖だった。直径は持ち主の半身くらいで、先には球体と花弁のような飾りが取り付いており――やはり、白を基調としていた。
「ほ、本当に出た……」
「おま……解ってないのにやったのかよ」
「しかし、そのブローチはいったいどのような構造になっているのだ? 空間系の魔道具なのか……?」
「武器については問題無いようですね」
 狐につままれたような顔をしている三人を尻目に、リチャードは武器を構え直す。
「では、参ります」
 その言葉を合図として、彼は駆け出してきた。
「「!」」
 その動作に反応したアクセルはすばやく前方へと動き、エマは不可視の盾を〈展開〉させてターヤの前に立つ。
 少女は、思わず胸元で杖を握り締めた。

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