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一章 目覚めた私‐memory loss‐(03)

「つーか、その前におまえの名前は? まだ名乗ってねぇだろ?」
 そこでふと気付いたアクセルが訪ねてきた為、再び少女は針の筵に立たされたような気分になった。誇張表現ではあるが、それくらい困っているという事でもある。
「え、えっと……わたしは……」
(ど、どうしよう……!)
「その、あの……」
 無意味に手を動かしながら顔を俯け、言葉に詰まる少女に振ってきたのは、アクセルの声だった。
「おまえ、もしかして……」
(き、気付かれた!? それはそれで……だけど、自分で言うよりは――)
「犯罪者か何かなのか?」
「……へ?」
 あまりに突拍子も無い予測に、少女の口から零れ落ちたのは間の抜けた声だった。先程までの緊張が全て吹き飛ぶくらいには、いろいろな意味で衝撃的な一言だった。
「そっか、それなら迂闊には名乗りにくいよな、うん」
 納得したように何度も頷くアクセルに、少女の中の防波堤が吹き飛んだ。そのような勘違いをされては堪ったものではない、という思考が前面に押し出され、するりと喉の奥でつっかえていた筈の言葉が滑り出る。
「そ、そうじゃなくて! わたし記憶喪失で、何も解らなくてっ……!」
「……へ?」
 その瞬間、アクセルは先程の少女同様の間抜けな顔になった。
 そしてエマは、はぁ、とこれ見よがしに溜め息を零す。
「馬鹿か、貴様は」
「え、いやだって、まさか記憶喪失とは思わねぇだろ? 何か理由があると思ったから、ちょっと鎌かけてみたら……まじかよ」
 慌てて言い返そうとするアクセルだったが、最終的には驚き顔に戻り、目を丸くしたまま少女を凝視した。
 少女もまた先程のアクセルの発言がわざとだったと知り、彼を見上げている。
「それで、確認させてもらうが、貴女は記憶喪失なのだな?」
 いつまでも無言で視線を交わしている二人に、これでは一向に話が先には進まないと呆れでもしたのか、エマが間に声を滑り込ませてきた。
 問われた方の少女は、そちらに気付いて頷く。
「あ、はいっ」
「では、自分が誰なのかも、名前さえも解らないのだな?」
 確信を持った声に、逡巡しつつも首を縦に振った。
 全ての少女の答えを把握し終えると、エマは困ったような微笑みを浮かべた。
「そうか、それは大変だったな。という事は、なぜ空から降ってきたのかも解らないという事か?」
「うん、気が付いたらあそこに居て……」
「となると、殆ど手がかりは無いという事か……なるほど」
 何事かを理解したらしいエマは立ち上がり、少女へと手を差し伸べてきた。
 戸惑いつつもその手を借りて少女が地面に足を付けると、アクセルもまた重い腰を持ち上げた。それからエマに視線を寄越す。
「で、どうするんだ、エマ。こいつ、とりあえずどっかの街まで連れてくか?」
「そうだな、その方が良いだろう。見たところ、服装自体は術師のように思えるが、武器は持っていないようだし、記憶喪失と言うならば呪文の類も忘却している恐れもある。一人では危険だ」
 そこで言われて初めて気付いたかのように、ようやく少女は自らの格好を認識した。膝上までのワンピースは白を主体としているが明色系のアクセントが入っており、それはブーツもまた然り。そして、胸元は赤い宝石を金の枠で覆ったブローチで飾られていた。試しに腕や足などを軽く動かしてみたが、非常に可動性の良い服装だった。
「わたし、こんな恰好をしてたんだ」

「何だ、気付いてなかったのかよ……って、名前が解んねぇのは、いざって時に不便だな」
 流れで名前を呼びそうになったものの、彼女の名を知らない事に気付いたアクセルは誤魔化しも兼ねて頭を掻いた。
 それを見抜いているエマは呆れ顔を浮かべる。
「仕方が無いだろう、彼女自身に解らないのだから」
 その言葉に否定の色を見せない少女を視界の端に収めて、アクセルは複雑な表情を浮かべていたが、そこでふと思い付いたように彼女を見た。名案だとでも言わんばかりの顔で、彼の突然の行動に驚く少女を見据えて言う。
「そうだ! なら、俺がおまえに名前をやるよ」
「え、えっと……?」
 唐突且つ予想外の言葉に、少女はアクセルを見上げながら目を瞬かせるも、その時には既に彼は思考を開始していたので、声をかけるのは憚られた。
(名前をやるって、名前を付けてくれるって事なのかな?)
「んー、そうだなぁ……」
 そのまましばらく考え込んでいたアクセルだったが、唐突に閃いたように指を鳴らす。
「そうだ、『ターヤ』なんてのはどーだ?」
「たーや?」
 きょとんとした顔で反芻すると、アクセルは頷いた。
「気に入らねぇんだったら、また考えるぜ? それとも、本名じゃねぇ名前なんか嫌か? けど、名前がねぇのは結構辛いんだぜ?」
「ターヤ……」
 今度は自分の名前だと意識しながら呟いてみると、なぜかその名はしっくりと自らの中に収まった。それを大事に抱き締めるように、ぎゅっと胸の前で両手を握り締める。
「ううん、ターヤが良い。ありがとう、アクセル」
 再び彼を見上げると、自然と頬が綻んだ。
 それに釣られるようにして、アクセルもまた笑みを浮かべる。
「そっか、なら良かったぜ。あと、やっと笑ったな、おまえ」
 二人のやり取りを微笑ましそうに見守っていたエマだったが、ふと思い浮かんだ疑問を口にした。
「だが、なぜ『ターヤ』なのだ?」
 少女ことターヤも理由が気になり、エマ同様アクセルを見る。
 問われた彼は、後頭部で手を組むと何でもない調子で答えた。
「あぁ、さっき会った占い師のばーさんが言ってたのを思い出したんだよ、もし女に名前をやるのなら『ターヤ』が良い、ってな」
 その瞬間、エマは不審げな視線をアクセルに突き刺し、ターヤは思わず苦笑していた。
「非常に胡散臭いとしか感じられないのだが」
「別に、信じる信じないはおまえの勝手だけどな」
 しかしアクセルは視線を逸らさず誤魔化さずに言い返した為、事実だと知ったエマは一息吐き、今度は当の本人を見た。
「貴女は、その名で良いのか?」
「あ、うん。わたしは、この名前が良いな。何でかは解らないけど、とってもしっくりくるの」
 嬉しそうに笑う彼女を見て、エマもまた微笑んだ。
「うか。貴女が良いのならば、構わない」
「で、これからどうすんだ? ターヤ、俺らと一緒に来るか?」
 唐突に向けられたアクセルの言葉に、言われた意味が飲み込めないターヤは首を傾げるしかない。
 そしてエマは、再びアクセルの頭に拳骨を落としたのだった。
「だから、貴様はどうしてそう言葉が足りないのだ……!」
 その拳は震えている。心底呆れたと言わんばかりだった。
 殴られた場所を片手で押さえながら、アクセルはエマを睨み付けて反撃する。
「いってぇな……だからって、毎回殴るおまえも駄目だろーが」

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