The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
一章 目覚めた私‐memory loss‐(02)
「仕方ねぇ、一か八かやってみるか!」
赤い青年は覚悟を決めたような顔になると、少女を抱く左腕に力を込めて右腕は離し、その片腕で今度は背中の大剣を握った。それから視線は下方に向けたまま、声だけは少女にかけてくる。
「わりぃ、ちょっとばかし衝撃に襲われるかもしれねぇけど、我慢してくれ!」
その言葉と表情に嫌な予感を覚え、再び両目を瞑りそうになった時、いきなり頭の中に声が響いた。
――唱えてください、空中浮遊、と。
諭すように囁かれるその声が何なのか考える余裕も無く、このままでは赤い青年も自らもただでは済まないような気がして、藁にも縋る思いで少女は反射的に叫んだ。
「ふ、〈空中浮遊〉っ!」
瞬間、周囲からあの殺人的な速度が一瞬にして掻き消え、今度は随分とゆっくりになる。
そしてその直前、彼女は自身の周りに収束する光の粒を目にした気がした。
「なっ、何だぁ!?」
「これは……!」
すぐ傍と下方から驚きの声が上がるが、それは少女もまた同じ事だった。自らが成した事だという実感も湧かず、他人事のように脳内をあっさりと通り過ぎていく場景に、両目が何度も開閉を繰り返す。声も出なかった。
そのまま二人は、持ち主に厭きて手放された人形のように地面の上に落とされた。あまりに遅すぎたせいか、衝撃も痛みも無い。
(た、助かった……)
表情は呆然としながらも、内心で大きな安堵の息を吐く。それから、ふと思いたって視線を上空へと向けた。
(た、高い……)
先程少女が目にした白い雲は、地上から見上げるとかなり高い位置に見えた。予測でしかないが、どうやらあの辺りから落下してきたようだ。
(でも、助かった)
「すげーな、おまえ」
もう一度息を吐いたところで声をかけられ、そこで赤い青年に抱えられたままだった事を思い出す。見上げると、そこにあったのは純粋無垢な子どものように輝く瞳だった。
地面との衝突を予想していた赤い青年には唐突な落下の緩和が予想外だったらしく、また固い地面が柔らかくすら感じられたようで、両足を地面に付け忘れた彼は地面に座り込む姿勢になってしまっていた。それでも少女をしっかりと腕の中に収めている辺りは、流石と言うべきであろう。
「え、えっと……」
どう答えれば良いのか解らない少女だったが、赤い青年は気にしてないのか続ける。
「おまえ、もしかして〈職業〉が《魔術師》なのか? さっきの『ふろーなんたら』って〈魔術〉だろ?」
「く、くらす? うぃざーど? まじゅつ?」
次々と聞き慣れない単語を並べ立てられ、少女の脳は軽くパンクしかけていた。
(この人、何を言ってるんだろ……?)
さも当然とばかりに言葉を口にする赤い青年だが、その全てに聞き覚えの無い少女は目を丸くするだけだ。思考は綺麗に纏まらない。
「ってか、おまえ、名前は何ていうんだ? つーか、何で空から降ってきたんだよ?」
(うわぁ……)
最も難題な質問達が最初の方に出てきてしまい、脳内の混乱は一気に加速した。とにかく何事かを言おうとして、けれども何一つとして言葉は思い浮かばず、声として出てくる事も無かった。
(こ、こういう時って、何て言ったら良いんだろ? 記憶喪失なんです、とか? でも、それにしては軽すぎるような……)
先程のまでの記憶がいっさい無く、自らの名前すら解らない状態というのは『記憶喪失』で間違いは無いのだろうが、いざ口にするとなると、なかなかに勇気を必要とする単語ではあった。確かに事実ではあるのだが、同情されてしまうのは何だか気が引ける上、何より相手にかなりの迷惑がかかりそうな気がしたからだ。
故に、答えに窮した少女は、おろおろと困り顔で口を無音で何度も動かすしかできない。
そのような心境に陥っているとは露知らず、いつまでも経っても無言のままの少女へと、赤い青年は覗き込むようにして更に顔を近付けた。
「おい、どうしたんだよ? まだこえぇのか?」
「!」
元々近かった顔と顔との距離が尚いっそう縮まった上、目と目がしっかりと合った事で、相手の問いに答えざるを得ない状況となり、最早少女としては悩むどころの問題ではなくなってしまった。これ以上待たせてしまうのはあまりに失礼だとの考えが先行し、反射的に口が開かれる。
「あ、えっと、そうじゃなくて……」
「なら、どうしたって言うんだよ?」
あくまでもストレートに訊いてくる赤い青年に、やはり言葉が詰まって上手く言えず、少女はどうしたものかと焦燥を強めて、
「いってぇ!?」
突如として、青年の頭を良い音と共に叩く拳があった。
いきなりすぎる展開の連続に驚くしかない少女をよそに、赤い青年は背後を振り返る。
「何すんだよ、エマ!」
拳の主は、今の今まで静観を保っていた青い青年だった。彼は呆れ顔で赤い青年を見下ろしながら睨み付ける。
「貴様は少しは相手のことを考えろ。何があったのかは知らないが、空から落ちてくるなどという体験をした後なのだ、彼女も混乱している事だろう。そう矢継ぎ早に質問をするな。休ませてやれ」
全く仕方が無いと言わんばかりの顔をした青い青年に、赤い青年は反論できずに「うっ」と小さく呻くだけだった。
逆に、少女は青い青年を見上げる。彼は冷静沈着な保護者のようで、無邪気な少年のような赤い青年とは対照的でバランスが取れているように思えたからだ。
その視線に気付いたのか、青い青年は少女の前に回り込むとその前に膝を付き、目線の高さを合わせてきた。
「訊くのが遅くなってしまったが、怪我は無いか?」
「あ、いえ、無いです」
予想外の言葉をかけられて慌てて首を振る少女に、青い青年は安堵したように微笑んだ。
「そうか、ならば良かった」
その瞬間、少女の中で何かが動いた。
(……ん?)
これはいったい何だろうと熟考するより前に、青い青年の言葉が続く。
「それと、こちらも遅くなってしまったが、名乗らさせてもらう。私はエマニュエル・エイメという。貴女さえ良ければ、エマと呼んでくれ。それから、その男が――」
青い青年ことエマの視線を追って自らを抱き留めている人物を見上げると、彼は空いている方の手の親指を立て、ウインクをしてきた。
「俺はアクセル・トリフォノフ。エマの相棒なんだ、宜しくな!」
「いや、『相棒』というところだけ訂正させてもらう。ともかく、私達は《旅人》だ。決して盗賊などではないので、どうか安心してほしい」
訂正された部分で赤い青年ことアクセルの抗議が入るが、エマはそれを完全にスルーした。
しかし、そのやり取りよりも、少女にはまたも聞き慣れない単語があった。
「たびびと?」
今まで耳にしてきた謎の単語の時以上に、彼女の中に疑問が渦巻く。読み方と発音自体に違和感は覚えなかったのだが、その意味合いが知らないもののように聞こえたのである。
不思議そうな顔をした少女に、二人の青年もまた一驚を喫していた。
「貴女は、《旅人》を知らないのか?」
「はー、すげぇ。初めて聞いたっつーか見たな、知らない奴」
二人からしてみれば予想外の反応をしてしまったようだが、少女にとっても相手が見せた様子は意外なものだった。その理由が理解できないだけに、ますます混乱は深まる。
フロートイン
クラス
ウィザード