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一章 目覚めた私‐memory loss‐(15)

「うん、野宿してみたいな」
 予想外にも頷いてみせたターヤに、エマが驚いたのは言うまでもない。
「だが、ターヤ、野宿が初めてかどうかは解らないが、貴女が想像しているほど楽なものではないぞ?」
「大丈夫、エマは心配し過ぎだよ」
「そうそう。それに、ターヤに何かあったら俺が護るしよぉ」
「そこまで言うのならば、解った」
 大丈夫だと元気いっぱいな様子でターヤが答えたところに、アクセルが駄目押しを付け加えた為、最終的にエマが折れたのだった。
 しかし、空から落とされた上に、参加してないとはいえ三回ほど戦闘を経験し、殆ど歩き通しだったターヤである。やはり《旅人》二人と比べれば、元々それほど体力は無かったらしく、また全く慣れていない戦闘で数時間ほど前にようやく習得した魔術を連発した事もあってか、街を出て一回目の戦闘が終わった瞬間、目を回して倒れてしまったのだった。
 まさしく、エマが懸念していた通りに。
 そんな感じで気絶してしまった少女を背負いながら、アクセルは思わずやりすぎてしまった悪餓鬼のように顔全体に冷や汗を流し、歩いていた。
「アクセル」
 隣のエマから向けられている突き刺さるような非難の視線に、アクセルは思わず反発してしまう。
「な、何だよ! 言っとくけど、無理矢理じゃなくてターヤも了解したんだからな!?」 
「知っている。とにかく、ターヤがこの状態では動くに動けない。今夜はこの辺りで野宿をするとしよう」
「あぁ、そーだな。あそこにでけぇ岩があるし、あの陰でどーだ?」
「賛成だ」
 二人は互いに工程を確認すると、そこまで向かった。

 そこに着いてから、寝袋で簡易寝床を拵えてターヤを寝かせ、自分達は夕食の用意や、魔物除けのランプ型魔道具〈ハマの灯〉の設置など、野宿の為の準備を手分けして手馴れた動きで着々と進めていった。
「……んぅ」
 それから、エマに料理を任せて岩に背を預けていたアクセルは、少女の微かな呻き声を聞き取った。隣に寝かせていた少女に顔を向けると、彼女は寝起きの瞳を擦っていた。
「お、ターヤ?」
「……アクセル?」
 まだ少々寝惚けているらしき声だったが、ターヤの瞳がアクセルを捉える。
「よぉ、起きたみてぇだな」
「わたし、どうして……」
「エマが言うには、疲れが出たんだとよ。ま、そのまま寝とけって」
 寝起き故に掠れている問いかけに対し、豪快に笑いかければ、少女は複雑そうな表情を浮かべて視線を外してしまっただけだった。
「どうした?」
 尋ねても少女は答えず、目の部分に両腕を乗せて覆い隠してしまう。
 アクセルは無理矢理に訊き出そうとも思わなかった。ターヤが話したくないのならば別にそれでも良かったし、決めるのは彼女自身だからだ。
「ごめん、わたし、二人に迷惑かけちゃった。大丈夫だと思ってたのに」
 唐突に、ぽつりと呟かれた声。それは、大丈夫だと豪語しておきながら、結局は倒れてしまった自分を恥じたものだった。
 その言葉でアクセルは彼女の心境を悟った。
「仕方ねぇよ。おまえは別に《旅人》って訳でもねぇし、既に何回も旅をした事がある訳でもねぇ……つーか、無さそうなんだから。それに、初めて魔術を習得した日にあれだけ使ったんだぜ? なら、寧ろあたりまえだっての」
「でも、あんなこと言っちゃったのに」

「良いんだって、今は。少しずつ慣れてけば良いんだからよ。だから、今はあんま無理するなよ。な?」
 優しく微笑んだアクセルを、少女はぼんやりと見つめる。出会ってから既に、自己中心的で意地悪な面と、今のように頼れる優しい面との二つを見てきたターヤには、どちらが本当の彼なのか、よく解らなくなっていた。
「ん? 何だ、ターヤ。おまえ、もしかして俺に惚れたかぁ?」
 だがしかし、どうやら今はナルシストモードなようだった。
 その事に気付き、跳び上がるように上半身を起こすと、慌てて否定するべく両手を身体の前で何度も振った。
「ち、違うってば!」
「むきになるところとか、いかにも怪しいよなぁ?」
 楽しそうに意地悪く笑うアクセルに、ターヤが何とも言えない表情になったのは言うまでもない。
「けど、何ともねぇみてぇで良かったよ」
 反論しようとした途端、眼前の青年が安堵したような笑みを浮かべた為、少女は何も言えなくなった。その顔が、どこか悲愴な面持ちに見えて、声が出てこなくなる。どう言葉を返せば良いのか解らず、何か返したいのに口が動かず、
「ターヤ、気が付いたのか?」
 そこにタイミング良く登場した救世主ことエマに、ターヤが感謝の念を覚えていた事を本人は少しも知らない。
「あ、うん。もう、大丈夫だから。心配かけて、ごめんなさい」
 慌ててエマに顔を向けて、ぎこちなく笑って、彼女はぺこりと頭を下げた。
 その様子で問題は無いと判断したエマは、微笑を浮かべて首を振った。
「いや、謝らなくても良い。ところで、もう夕食ができたのだが食べられるか?」
「まじか! おっし!」
 頷きかけたターヤの言を遮って、またも喜びを顕にしたのはアクセルの方だった。彼はすばやく立ち上がると、美味しそうな香りが漂ってくる焚き火の方へと走っていってしまう。
 その場に残された二人は、彼の背中を苦笑と安堵と呆れ顔とで見送った。
 それからエマは、ターヤに近付くと彼女の前で膝を折り、その額に手を当てる。ひんやりとした感触は、ターヤにとって心地良いものだった。
「もう熱は無いようだな」
「あ、ありがとう」
 途端に何だか恥ずかしさが込み上げてきて、まともにエマの顔を見られそうにないとターヤは感じた。なぜエマが相手だと、これ程までに心臓の鼓動が加速する事が多いのだろうか、と彼女はぼんやり考える。 
「ターヤ?」
 かけられた声で、他方に意識を飛ばしていた自分をエマが覗き込んでいる事に気が付き、慌てて現実に戻った。
「な、何?」
「いや、心ここにあらずという様子だったので、熱が出たのかと思ってな」
「ううん、もう大丈夫だよ。ちょっと、考え事をしてただけだから」
「おーい、カレー全部食っちまうぞー!」
 そこに聞こえてきたアクセルの陽気な声に呆れ顔を浮かべると、エマはターヤへと手を差し出した。
「アクセルに食べられてしまっては適わないだろう? 行こうか」
「……うん」
 未だ鼓動は収まらず、目も合わせられそうにない。どことなく、頬も熱いように感じられる。

 けれども一晩寝れば、この謎の現象は収まるのだろうと考えながら、ターヤは夕食を口にするべく、エマの後を追って、アクセルの待つ焚き火の方へと向かって歩いていった。

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