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二十一章 砂漠の星空‐mixture‐(1)

「わーお、雷まで鳴り始めちゃったよ~」
 その日、首都近辺は土砂のように絶え間無く降り注ぐ豪雨に見舞われていた。それだけでも憂鬱な空気を構築するには十分なのだが、加えて雷までもが発生し始めたのである。
 窓からそんな外の様子を眺めながら、セレスは陰鬱そうに溜め息を零す。
「はぁ、ゆーうつだー」
 覇気の無い抜けた声を出しながら、彼女はだらだらと廊下を歩く。
 普段通り階下に降りれば、団員達がそこらかしらで言葉を交わしていた。それだけならばいつもと何ら変わり無いが、今日に限ってはその空気は異なっている。
(あー、そういえば、副団長が団長との対立をとうとう表で宣言しちゃったもんなー。はぁ、今までもなかなかめんどかったのに、今日からは更にめんどいのかー)
 どうやら昨日、セレスが仕事の報告を終えた後、《副団長》アンティガはわざわざ《団長》クレッソンの許を訪ねていき、直接的な表現こそ使わなかったものの、対立の激化を仄めかすような言葉を口にしたらしい。
 ちなみにその時セレスは自室に帰っていたので、すぐには知り得なかった。
 至極だるそうに進むセレスに気付き、団員達の表情が曇る。そういえばこの辺りはクレッソン派の領地のようなものだったと気付くも、面倒なのでスピードは上げない。派閥が異なろうが同じギルドなのに、とセレスは内心で呆れかえるばかりだ。
「おっ――」
 と、そこでセレスは見つけてしまった。
 同時に、向こう側では相手もこちらに気付いたようだった。即座に逃げの姿勢へ転じようとしている。
「エディちゃーん!」
 しかし、彼女をみすみすと逃すセレスではなかった。通常ステータスなど当てにならない程の俊敏さを発揮し、周囲の面々が目を点にするのも気にせず、愛しの少女へと一直線に向かっていく。
「はい、そこまで」
 けれども、それよりも早く正面から伸びてきた手に顔を掴まれて止められた。勢いが付いていたので相手の腕にも衝撃は奔っただろうが、彼同様に急停止を余儀無くされたセレスの身体にも負荷がかかったのは言うまでもない。
「うー、何か全身の骨がひび割れたような感じだよ~」
「そのまま全身骨折しちゃうと良いのにね」
 泣き言と恨み言の混じり合った声に返されたのは、案の定容赦無い切り返しだった。
「もー、フロくんは何でいっつも良いところに現れるのさ~」
 目元を覆い隠すように顔を掴んできている手をべりっと剥がしながら、セレスは眼前に立ちはだかった保護者兼壁兼邪魔者兼最大の障害に対して不満げに唇を尖らせた。
 その人物ことフローランは若干の怒りを滲ませつつも楽しそうな様子だ。
「君こそ、いつまで経っても学習しないよね。エディを見つける度に抱き着こうとするのは止めろって、いつも言ってるよね?」
「エディちゃんが可愛いのがいけないんだよ!」
 ぐっと胸の前で拳を握り締めての力説ではあるが、全く持って謎の理屈である。
 だが、セレスの言い分にフローランは突っ込むどころか同意するのだった。
「そうだね、エディは可愛いよ。だから君には触らせてあげない」
「えー、フロくんのけーちー」
 仕舞いにはそれまでよりも子どものように文句を言い始めたセレスを、フローランは変わらぬ笑みのまま眺め、エディットは彼の背に隠れながら様子を窺うだけだ。
 しかし、アンティガ派であるセレスと、クレッソン派である二人が普段通りのやり取りをしている事に、周囲の団員達は信じられないとでも言いたげな顔になる。そして、すぐにそれを歓迎していないと言わんばかりの空気を作り始めるのだった。無論《殺戮兵器》と《死神》に面と向けられるくらい度胸のある者は居なかったが。
 周囲の変化に気付いたフローランは、更に楽しそうに嗤う。
「ピリピリしてるみたいだね」

「もー、みんなして頭固すぎなんだよ」
 逆にセレスは、はぁ、と呆れたように面倒くさそうに脱力したのだった。


 そして〔騎士団〕内部の派閥対立が激化しそうだという話は、早くも〔軍〕の《元帥》たるニールの耳にも入っていた。彼は最早定位置となりつつあるソファに片肘を突いて横向きに寝転がりながら、眼前の机に置かれている盤上のチェス駒を弄っている。
 普段は控えている筈のユベールの姿は今は無かった。
「ほんと、いろいろと面白くなってきたよね~」
 そこに浮かんだのは、童顔に似合わぬ不敵な笑み。
「ところで、あっちゃんはわつぃとの約束を忘れてないかなぁ?」
 しかしそれはすぐに反転し、冷気の漂う表情となったのだった。
 手の中にあった一つの駒が、最も細い部分に力をかけられ、そしてぽきりと折られた。


 一方、そのような事態になっている事など露知らず、一行は[アルタートゥム砂漠]に足を踏み入れていた。機械都市ペリフェーリカに行くには元来た道を戻って街道を行くか、ここを通り抜けるしかない。しかし前者にはアシュレイが渋り、その彼女にエマが賛同した為、押しきられるような形で後者になったのである。
「……暑い」
「あっついよぉ……」
 だが、こちらのルートを選んだ事を、一行は早くも後悔しかけていた。ターヤは目が虚ろになっており、暑いとばかり呟いている。マンスは上体を下げるような姿勢でふらふらと足取りも危なく、彼女同様暑いと零すだけで《水精霊》を召喚する気力も無いようだ。他の面子は一見問題無さそうだったが、よく見ると汗だくで表情もどこか悪く、いっさい口を開こうとはしない。一応砂漠の怖さを知っている旅人二人と軍人の意見を参考に港町バイミリアで可能な限りの準備は行っておいたのだが、それ以上に砂漠は強敵だったのだ。後衛組の水分はとうに尽きており、他の面々が自分の分を与えているのだが、それすらも無くなりかけている。
 ちなみにオーラは用事があるそうで、機械都市で合流しましょうとの伝言だけを残してどこかに行ってしまった。その言葉から察するに、しばらく一行に同行するつもりなのだろうか。
 こちらを選択させた事を悔いているのか、言いだしっぺたるアシュレイは頑なに無言を貫き通しながら先導を請け負っている。
 とにもかくにも、後衛組二人の呟き以外は基本的に会話の無い一行であった。
「……?」
 暑さに負けて、そろそろ上だけでも脱ごうかと思ってきたところで、ふとターヤは前方に何かがある事に気付いた。それまではどこを見ても砂とサボテンばかりで、時おりモンスターといったくらいに同じ風景しか続かなかったが、目を擦っても瞬かせてもそれは消えなかった。
「! 街!」
 ようやくオアシスに辿り着けそうなのか、と希望を持って叫ばずにはいられなかった。思わず姿勢を正しそうになったところで、肩を軽く叩かれる。振り返れば、エマが申し訳なさそうに首を横に振った。
「あれは蜃気楼だ。唯一のオアシスまでは、まだ距離がある」
 蜃気楼。その言葉がターヤの脳内で反芻する。そうして完全に理解できた瞬間、脳内に浮かんでいた休憩という二文字が、まるで割れたガラスの如く甲高い音と共に粉々になって崩れていった。がっくりと項垂れるように肩が落ち、そのまま速度が落ちて後方へと下がっていく形となる。
 それを見たエマは益々すまなさそうな顔付きになり、アクセルは呆れたように眉を動かしてみせた。相変わらず言葉は一つたりとも飛んではこなかったが。
(蜃気楼かぁ……見たの、初めてだなぁ)
 先程よりも更に朦朧とし始めた思考で、ぼんやりと考える。

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