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二章 堕ちた遺跡‐asassin‐(16)

「あの時、あの壁画の部屋で、わたしに何が起こったの?」
 アクセルは何も言わなかったが、ターヤは彼に詰め寄る。
「もしかしたら、自分の事が何か解るかもしれないの。だからお願い、教えて!」
 必死に少女が懇願すると、青年は仕方ないという様子で渋々口を開く。
「おまえ、あの部屋に入った時、あの壁画に見とれてただろ?」
「うん、そこから記憶が無くて、気が付いたらしゃがみ込んでて、壁画が開いてて、〈空間転移装置〉があったの」
「その間にな、おまえ、まるで別人みてぇになってたんだよ。虚ろな目をして、止めようとした俺を『触るな』って冷たい声で拒絶して、吹っ飛ばして……それで、歌ってたんだ。あれはミスティア語じゃねぇ。あれは――」
「古代セインティア語だろうな」
 先を引き継いだエマに、アクセルもまた頷く。
 その単語を耳にした時、ターヤの中で興味が鎌首をもたげ始めるが、今はそれどころではないとして振り払う。
 アシュレイも二人の会話を聞いていたようで、先頭を務めながらも間に口を挟んでくる。
「古代セインティア語……確か、かなり昔に使われていたと言われている古代語ですね。スペルがあまりに難しすぎて、廃止されたと聞きましたが」
「そこら辺を研究してる奴らなら知ってそうだけどな」
「でも、彼女はどう見たって研究者には見えないけど?」
 実は密かに気になっていたのか、やけにアシュレイは喰い付いてくる。
 珍しいとの感想を抱きつつも、エマは一旦纏める事にした。
「理由は解らないが、ターヤが古代セインティア語の詩を知っていたのは事実だ。それから、まるで別人のようになった事も。あの時のターヤに訊けば、何か解るのかもしれないが……」
 そこでエマは言いよどむ。あの時の彼女の目には、大よそ『生気』と呼べるものが殆ど灯っていなかった。あったのは、まるで『機械』のような冷たさと、僅かな神秘さだけ。
 アクセルも同じ事を考えていたようで、そこには触れようとしなかった。
「とにかく、そんな感じだ」
 そう言って、話を終わらせてしまう。
 言われた全てに対し、当の本人たるターヤには実感が湧かず、けれども二人の様子を見ていれば、それが事実である事は痛い程肌で感じ取れた。
「そっか、わたし、アクセルを……。だからアクセル、あの時怪我してたんだね。……ごめんなさい」
 だからこそ、アクセルに向かって深々と頭を下げる。
 だが予想外な事に、彼はもうその事は気にしていないようだった。寧ろ、意地の悪い笑みを浮かべて、わざとらしいまでの声と言い方をしてくる。
「ま、ターヤ如きの力で吹っ飛ばされるとは、流石の俺も思ってなかったからな。油断しちまったぜ」
 確かにそれは事実なのだが、何だか釈然としないターヤである。
 それを一応の終結と取ったのか、エマはここぞとばかりにターヤに声をかける。
「さて、まだまだ道も続いているようだ。せっかく言語の話題も出てきたのだから、ここで簡易講義といくか?」
 その提案に、ターヤが首を横に振る筈が無かった。
「うん、お願いします!」
 こくこくと嬉しそうに何度も首を縦に振ったターヤに、エマもまた笑みを浮かべる。
「なら、俺の出番だな」
 それから説明を始めようとしたところで、アクセルが彼を押し退けるようにして間に入ってきた。
 しかし、これには瞬時にアシュレイが対応した。彼の片耳を片手で掴むと、引きずるようにして二人から遠ざけていく。
「あんたねぇ、何エマ様の邪魔をしてんのよ」

 十代の少女とは思えない力と表情を見せるアシュレイに、ターヤは驚きのあまり口を半開きし、エマは苦笑いを浮かべ、耳を引っ張られている当のアクセルは叫んで抗議する。
「いててててっ……ちょっとは手加減しろよ! つーかおまえ、エマに近付く女性はあんまし好きじゃねぇくせに、こんな事してて良いのかよ!?」
「彼女は無害そうだから良いの。それに、あたしはそこまで子どもじゃないわよ」
 淡々と述べながら、アシュレイはアクセルを先頭まで引っ張っていった。
 ターヤどころかエマでさえも、予想していなかった光景を唖然として見送るが、それが彼女なりの気遣いだと知って困ったように笑えば、今度はターヤが彼に目を瞬かせた。
「エマ?」
「いや、すまない。では、講義を始めようか」
 首を振り、エマは当初の目的に移る。
「まず、現在の通用語は〈ミスティア語〉だ。意識せずとも、私達が、貴女が話している言葉を差す。由来となった言葉の意味は古代語で『通信』というが、実際は読み方をもじっているので直訳ではない」
「古代語って、さっきアシュレイが言ってた古代セインティア語の事?」
「そうだ。現在では話せる者は居ないと言われているが、定型文や単語などは都市やダンジョン、物などの名称、教訓などに使用されていたりする」
 頷いたエマの言葉で、その古代に対する興味が再発した。自分がその古代語の詩を歌ったと言われた事もあるのだろうが、ともかく、エンペサルに戻ったら、もう一度図書館に寄らせてもらおうと考えて、ターヤはエマの話に再び耳を傾ける。
「他にも、地域特有の言葉である『方言』などもあるが、そちらは多岐に渡るので省略させてもらう。最後は〈ルーン文字〉だが――」
「それなら解るよ」
 エマの言葉を遮る形となってしまったが、その文字については既に知っていたターヤは、ここぞとばかりに反応を示した。図書館で読んだ魔術関連の本に登場していた為、印象に残って自然と覚えてしまったのである。
 彼女の意思を感じ取ったエマは、それを尊重して本人に任せる事にした。
「そうか、では説明してみてくれないか」
「うん、ありがとう」

 その言葉に甘えて、ターヤは記憶を引っ張り出しながら話す。

「えっと、ルーン文字っていうのは、昔魔術を構築する際に必要不可欠とされていた古代文字だったんだけど、この言語で構築すると、途中で止めた時に術者に術がリバウンド、跳ね返されて、危ないからって使われなくなったの」

 現在、一般的に使用されている魔術は、詠唱を途中で破棄したところで、これといったデメリットは無い。

 だからこそターヤには、『術が跳ね返ってくる』という部分が理解しづらかったが、何となく想像はできた。

「でも、この文字でないと使えない魔術もあって、それは〈古代魔術〉と言われてるんだって。昔は魔術の体系が違って詠唱だけじゃなくて文字も必要で難しかったから、エルフじゃないと使えなかったみたい」
 少々たどたどしい説明だったが、内容としては非常に充分だったので、エマは彼女の頭に手を置いて撫でた。
「ああ、その通りだ。よく知っていたな」
「本に載ってから、覚えちゃったみたい」
 褒められたターヤはと言えば、気恥ずかしさからエマと視線を合わせられなくなって外したが、その赤く染まった頬が、彼女自身の気持ちを的確に表現していた。
 そして、その事に気付きながら、前方を行くアシュレイは何も言わない。
「エマの奴、ターヤを犬か何かだと思ってるのかよ」
 彼女の隣ではアクセルが呆れたように呟いていた。既に耳からアシュレイの手は離れているものの、まだ掴まれていた個所はひりひりと痛んでいるのか、時折りそこに手が触れる。
「犬というより、あれは妹扱いね。でも彼女も満更じゃないみたいだし、別に良いんじゃないの?」
「おまえは良いのかよ? 愛しのエマが、他の女といちゃこらしてるんだぜ?」
「なら、あんたは好きな女が弟と戯れてたら不快に感じる訳?」
 アクセルとしてはからかいの意を込めた台詞だったのだが、アシュレイは特に気にしたふうも無く返してきた。
 これには答えに窮し、最終的に青年は肩を竦めて誤魔化す。
「さぁな、知らね。つーか、幾らエマが言い出したからって、わざわざターヤとエマを二人っきりにするなんざ、おまえ何考えてんだよ?」

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